Yom Kippur 1973 - Egypt

 このシナリオは日本では第4次中東戦争と呼ばれることが多いYom Kippur War(10/6、ユダヤ教のYom Kippurの祭日に開戦したことからこの名前があります)の南部戦線を扱ったキャンペーンシナリオです。

 1967年の第3次中東戦争(別名六日戦争、Six Day War)においてエジプトはシナイ半島とスエズ運河の支配権を失いました。Yom Kippur Warはこの失われた領土を取り返すべくエジプト軍がシリア軍(こちらはゴラン高原を巡る戦いをイスラエル北部で繰り広げます)と共謀してイスラエル軍に2正面作戦を強要したものです。第3次中東戦争以来イスラエルとエジプトはスエズ運河を巡って消耗戦を繰り広げていましたが、エジプト軍としては過去に何度も痛い目にあっているイスラエル空軍を無力化させない限りは本格的な攻勢を取ることは論外でした。当時エジプトを支援していたソビエト連邦がこれに対して出した結論はミサイルの壁を用いて打ち砕くと言うもので、アメリカ軍が多大な損害を出していたベトナム以上の密度を持った対空ミサイル網が整備され、その他の対空砲火と合わせてイスラエル空軍が地上の戦闘に関与できないようにできると考えられていました。また過去にエジプト軍に対して優勢を誇ったイスラエル戦車部隊(特に六日戦争において猛威を振るいました)も小はRPGから大はAT-3 Saggerに及ぶ歩兵携帯対戦車兵器の大量使用で対処できると考えられていました。(これまでのところYom Kippur Warにおけるエジプト軍は対戦車ミサイルをもっとも大規模に使用した軍隊であると言われています)
 1948年の建国以来周辺国と戦いつづけてきたイスラエルの国防戦略はその国土の狭さから土地を譲って時間を稼ぐことができないため情報部を充実させ、攻撃を事前に察知し少数精鋭の常備軍により予備を動員する時間を稼ぐことを基本にしています。しかしこの時はエジプト側の偽情報に躍らされた形になり奇襲を許してしまいました。当初はエジプト側の計画通りに進みましたが、イスラエル側がミサイル対策を打ち出し、前線がスエズ運河から離れて対空ミサイルの傘から離れたことでイスラエル軍が反撃を行い、スエズ運河を逆渡河するに至ります。最終的にはエジプト第3軍が逆包囲され、両国は国連の2度目の停戦決議に従う形で10/24に停戦します。
 キャンペーンにおいてプレイヤーが関与できることは僅かです。(兵員80万人、戦車2200両のエジプト軍からみればプレイヤーが指揮できる戦力など砂浜の砂粒のようなものです) しかし戦争の結果を変えることはできなくとも流れを変えることはできるかもしれません。スチャラカ戦闘団長がどこまでできますかゆっくりお楽しみください。



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