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元和元年(1615)5月、大阪城落城によって秀頼と共に自刃して果てた淀殿の遺骨は、大阪城外に葬られましたが、明治10年(1877)11月、城東練兵場(現大阪城公園)造成に当り移祀されることとなり、豊臣に縁の深い太融寺に埋め、九輪の塔が建てられましたが、戦災で六輪になっています。
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