大阪城 千貫櫓 大手門を側面から防御する重要な櫓で、織田信長が石山本願寺を攻めた時、横矢が効果的に飛んでくる隅櫓がこのあたりにあって難儀し「あの櫓を落とした者には千貫文の銭を与えても惜しくない」と言ったといわれています。昭36年(1961)の解体修理で「元和六年九月十三日御柱建つ」と墨書銘のある板が土台部分から発見されています。 撮影 2004.4.3 交差法 アナグリフ