前川 健一さんの書いた本を紹介するページです。
私が知っているかぎり、2001年5月15日の時点で、前川氏は15冊の本を出しています。出版された順(つまり、古い順)にならべて、ご紹介します。
2000年08月15日に開設しました。
2000年05月15日に更新しました。
2000年08月15日
このページを公開しました。
2000年08月27日
文章の手なおしをしました。
2000年05月15日
『タイ様式』を追加しました。
2001年05月15日
2001年5月15日の時点で、前川氏は15冊の本を出しています(書店で手に入れられるのは、(おそらく)13冊です)。
すべての本が旅と関係しています。旅にかかわりながらも、旅のみにとどまらない。たしかな観察にうらづけられた記述と考察はとても魅力的です。
地域別にみますと、タイ7冊、東南アジアとアフリカが2冊ずつ、旅本というしかないであろうもの(題名に「アジア」と付いているものの、アジアにかぎったものではない!)が4冊です。
分野でみますと、都市研究(でまとめるのは無理がある?)が6冊、エッセイ(雑文)集が4冊、食文化が2冊、音楽が1冊、ノンフィクション(風の読みもの)が1冊、ガイドブックが1冊となっています。
出版された順(つまり、古い順)にならべて、ご紹介します。
文:前川 健一/絵とイラストレーション:前田敏之『東アフリカ』グループ オデッセイ 1983年 |
東アフリカ諸国のガイドブック。ケニヤ・ウガンダ・タンザニア・ブルネイ・ルワンダを対象にしています。
古くなってしまい、ガイドブックとしては使用に耐えないでしょう。ですが、読みものとしてはおもしろく、資料としては十分に役にたちます。
「レンタカーを利用するサファリ」における同乗者のえらびかたを記したところなどは、読ませます。
「はじめに」には、
とあります。ガイドブックというのは教科書でもなければバイブルでもなく、たかだか一冊の参考書にすぎない。ガイドブックは頼りにするものではなく、参考にするものなのだ。 (p3)
このようにはっきりと記されていることに、私は感心しました。ガイドブックを作成する人たちは、たとえおもっていたとしても、(あえて)はっきりとこういうことを述べようとはしないものだからです。
絶版です。図書館や古本屋さんなどでさがしましょう。
# オンデマンド出版であつかえば、そこそこの部数は売れるとおもうのですが……。
前川 健一『路上のアジアにセンチメンタルな食欲』筑摩書房 1988年 |
アジアと呼ばれている地域(はとても広大ですが……)を旅行したときの挿話を何本かあつめた本です。アジアだけではなく、アフリカの話などもあります。
前川氏の本にしてはめずらしく、文章の密度があまり高くありません。どこの話を書いてあるにせよ、だらだらと惰性で書きつづけている感じを受けてしまうのです。この本が好きな人はむしろそうした脱力したようなところが好きなのでしょう。私はあまり好きになれませんけれど。
ノンフィクションとしては、けっしてできのいいものだとはおもえません。前川さんの他の本とくらべても、文章の質が(すこし)ひくいとおもいます。もっとも、あまたあるレベル低きアジア本や旅本のなかでは、まちがいなくいい方に属するでしょう。
絶版です。ですが、書きおろしと写真をくわえ(改題し)た『アジアの路上で溜息ひとつ』(←後述します)が講談社から文庫で出ています。
前川 健一『東南アジアの日常茶飯』弘文堂 1988年 |
屋台や飯屋での食事を中心にすえて、東南アジアの食文化を観察し記述し考察した本です。
注もおもしろい。
前川 健一『バンコクの好奇心』めこん 1990年 |
「(目に)見えているさまざまなことがらや現象をよく観察し、きちんと記録し、自分なりの見解をくわえる。」
こう書くといかにもかんたんそうに見えますが、この『バンコクの好奇心』が出版されるまでは、バンコクという都市を対象にそのかんたんそうなことをマジメにしようとする人は、ほとんどいなかったのです。
書店や図書館の棚には同工異曲の本が複数ならんでいてあまり目立たなくなってしまいましたが、ちまたにあふれる(←というほど数はありませんが)バンコク本の先鞭をつけたという意味で、今でも貴重な存在です。
バンコクをあるいていてよく目にするものがいろいろと取りあげられています。ホテルやデパート、タクシー・バス・トゥクトゥク、日本料理屋やファーストフード店、宝くじ、などなど……。
10年ちかくたっていますので、書いてあることそのものは古びてしまったところもありますが、とらえかたや見方は十分に参考になるとおもいます。
前川 健一『バンコクの匂い』めこん 1991年 |
タイ語の先生であるニコム先生に引っ越しの歴史をたずねることからはじまり、MBKというショッピングセンターを観察し、「銀座スクエアー」という日本料理店で調査し、スーナリーという歌手のコンサートをききにいき、橋めぐりをし、運河の旅におわる。日記(のおまけ?)つき。
読み切りルポルタージュのようなもの6本(と日記)で構成されています。
当時とは状況がだいぶ変わっていて、そのまま追体験できることはおおくはないです。読み方としては、たとえば、この本を持っていき、「どのくらい変わっているか、どのくらい変わっていないか」ということを自分でしらべてみるのが、おもしろいかもしれません。
前川 健一『アジアの路上で溜息ひとつ』講談社(講談社文庫) 1994年 |
『路上のアジアにセンチメンタルな食欲』に書きおろしと写真をくわえ、改題したものです。
『路上のアジアにセンチメンタルな食欲』で書いたことをくりかえします。
関川夏央さんが解説を書いています。
前川 健一『まとわりつくタイの音楽』めこん 1994年 |
タイの大衆音楽(ポピュラーミュージック)を解説した本です。
音楽そのものにだけ興味をもっている読者を相手に書いているのではありません。
音楽を聞いたり見たりしている人(音楽の受け手側)をも視野においています。そのことによって、音楽を通したタイ社会(の一面)が見えてくるような気にさせられます。
タイの音楽とあまり縁がない私のような読者でもたのしめるようになっていて、ありがたい。
「ハニー・シーイサーンを送る夜」は、「ちょっとしたいい話」だとおもいました。
# 第6章「気になる歌手たち」のなかで、スーナリー=ラッチャシーマーのあつかいがおおきいのは、著者の好みが反映されているのでしょうか。
前川 健一『タイの日常茶飯』弘文堂 1995年 |
屋台や飯屋での食事を中心にすえて、タイの食文化を観察し記述し考察した本です。
『東南アジアの日常茶飯』のタイ版?!
前川 健一『タイ・ベトナム枝葉末節旅行』めこん 1996年 |
タイとベトナムへ滞在したときのことを、新聞記事の紹介などをおりこみながら、日記形式でえがいています。
一時はとても感銘を受けました。今でもいい本だとおもっています。田舎の寺で僧に昼食をごちそうになる話やタクシーに乗りたくないワケをのべるくだりなどがとくにいい。
もっとも、さまざまな事項がたくさんの固有名詞といっしょに出てくるので、わかりにくく感じてしまう人や混乱してしまう人がいるかもしれません。読むにあたって、多少の予備知識は必要かもしれません。
ベトナム旅行にもっていきたい本で取りあげたこともあります。
そのときは、
と書きました。バンコクを経由したせいもあり、
前川 健一『タイ・ベトナム枝葉末節旅行』めこん 1996
に何度も感心させられました。ヴェトナム人カップルのじゃれあうようすや出される食べ物の温度からタイ料理との相違を指摘しているのが、するどい。『白いアオザイで、パンツが透けて見えないものはニセ物である』と言いきっています。
前川 健一『いくたびか,アジアの街を通りすぎ』講談社(講談社文庫) 1997年 |
旅行に関する種々雑多な文章をあつめたものです。
よせあつめの文章でつくった本は、ほとんどがロクなものではない。著者のあたまのなかが混乱しているとしかおもえないものが大半です。バラバラな中身で、おおまかにみてもダメ、細部はきちんと書けてない、いうことがおおいのです。しかし、この本は(例外的に)そうした通例からまぬがれています。
魅力的なひびきを持ったことばや印象にのこる語句をともなった文章がならんでいます。そして、エッセイやコラム・一行コメント的なもの・日記の一部というように、ずいぶんと質感が異なる文章が混在しているのですが、読み通してみると、なんとなくまとまった中身があるのです。
はっきりと感触が異なる文章群でありながら、しかも、いくつもの視点でべつべつのことがらをとらえていながら、1冊にまとめられたものは、さほど違和感を感じさせません。分裂しているようには見えないのです。
どうしてこういうことが可能なのでしょうか。エッセイとコラムをよほど上手に組み合わせたのだろうか、とはじめはかんがえましたが、ちがっていたようです。共通する何かが存在しているのです。
おそらく、初期の海外旅行ブーム(「海外旅行といえば団体旅行」という時代でした)のころから個人旅行をしつづけてきた経験にささえられ、一見関係のなさそうな文章と文章がゆるくむすびついているように感じられる、ということなのでしょう。
「あとがき」で述べられている時代背景や船旅の話がとくにおもしろくおもえました。
アジア文庫の大野信一さんが解説を書いています。
前川 健一『バンコクの容姿』講談社 1998年 |
食事・衣服・交通・住居・建築物などの章のそれぞれに、10〜20コのコラム風の文章があります。構成上のくふうなのでしょうか、みひらき2ページで1項目になっているものが大半です。
以前の著書とくらべて、バンコクやタイを知らない人たちに(も)読みやすいように配慮していることをうかがわせます。そのせいでしょうか、前川氏の本を読みなれた人にとっては、ものたりなさも感じるようです。
前川健一の本をはじめて読む人、とくにながい文章を読むのがしんどいという人は、この本から読みはじめるのがいいのではないでしょうか。
# 巻末ちかくの「タイ人とは?」は、多分に偏見もはいっているのでしょうけれど、おもわずわらってしまいたくなるような内容でした。「バンコクの正式名は学校で習ったが、忘れた。」が、とてもおかしかった!
## 『バンコクの容姿』という題名はもうすこしいいのがあるような気がしています(今のところ、いい題名がおもいうかびませんが)。
前川 健一『東南アジアの三輪車』旅行人 1999年 |
東南アジアにおける三輪車事情をできうるかぎり網羅した本です。
文献調査や知人への質問・取材を通じて、人力車から三輪自転車・三輪自動車への変遷、国や地域によって異なる三輪車の形状、営業形態のちがいなどを、あきらかにしようとつとめています。
調査にあらいところが少なからずあり、三輪車事情を網羅しきれていないとおもいます。
しかしながら、前川氏個人の力でやっていること(知人の助けをかりたり、取材先にお世話になったりはしているものの)で、類書がほとんどないことを合わせてかんがえますと、やむをえないのではないでしょうか。
東南アジア各国の交通事情をかんがえるうえで、タタキ台になりうる本だとおもいます。
10年後くらいにさらなる調査をくわえた改訂版を出してほしいです。
前川 健一『アジア・旅の五十音』講談社(講談社文庫) 1999年 |
時期も行った場所もバラバラな旅をしていると、細切れな旅の記憶がたくさんたまってくるものです。こうした断片的な記憶を書きくだし、書いたものをあいうえお順にならべてみたものです。
1冊の本になるほどの量があることにおどろきました。
前川氏が自分史めぐりのようなことをしたときのことやシェムリアップでの食事見学記、ビルマ旅行記が附されています。また、カンボジアやインドネシアの看板が写真にとられていて、おもしろく見ることができました。
個々の内容は程度の差こそあれそれなりに興味ぶかいものです。気の向いたときに気の向いたページを読んでみるという読み方がいいようにおもいます。読みやすい文章にもかかわらず、つぎに書いてあることやまえに書いてあることとは関連しないため、通して読むのは(意外と)つらいかもしれません。
『アジア・旅の五十音』という題名で、「アジア・」は必要ないとおもいます。
酒井順子さんが解説を書いています(なぜ酒井さんが?)。
前川 健一『アフリカの満月』旅行人 2000年 |
宿泊していたニュー・ケニア・ロッジのようすとナイロビの街をえがいた100ページ強の長編に、ケニヤからスーダンを経由してエジプトへ抜けたときの紀行、ケニアの周辺諸国のようすをえがいた短編などをつらねたものです。
これまでに前川氏が書いてきたものと接したときの感触がちがいます。(ノンフィクションということばで言いあらわされる一群の作品のように、)かなりなめらかな文章で、さらっとしたしあがりになっている気がしました。
前川氏は、「あとがき」で、「自分を書かなければいけなかったので、長らくうまく書けなかった」というようなことを述べています。
ですから、1980年代前半のアフリカのようすが、たんねんにえがかれているわけではありません。前川流の緻密なアフリカ記録(←タイやバンコクをえがくときに存分に発揮されたような)を想定していた読者からしますと、やや期待はずれな内容かもしれません。
『東アフリカ』(前述しています)というガイドブックが書かれた当時の情景を知ることができて、個人的にはたのしめました。
前川 健一『タイ様式』講談社(講談社文庫) 2001年 |
1998年に出版された『バンコクの容姿』を文庫化したものです。山口文憲さんが解説を書いています(この解説は楽しい)。
2001年05月15日
[めこん] [弘文堂] [旅行人] [講談社] [筑摩書房]
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