玉木 明『「将軍」と呼ばれた男 戦争報道写真家・岡村昭彦の生涯』洋泉社 1999

1999年11月07日
2000年04月25日書きなおし


 

 ベトナム戦争で活躍した岡村昭彦という報道写真家がいます。
 著者は、年譜と著作・報道写真をよみこむことによって、岡村氏の人生の軌跡をたどります。「岡村昭彦は戦後を(ある意味で)超越した存在である」とみなすことで、戦後の自分を取り巻くはてしもない徒労感に似た思いの源泉をも、同時に解明しようとしています。

 プロローグには、岡村昭彦をとりあげた動機が書かれています。
 「昭和世代にとって戦後をどう見るかは切実な問題である」という問題提起から始まります。自分の人生にまつわりつく不全感のようなものをどうしたらいいのか、著者は思いなやんでいたそうです。
 あるとき、友人の米沢氏から『岡村昭彦集』がおくられてきました。そのなかの『南ヴェトナム従軍記』をよみなおしてみて、岡村昭彦がただならない人物であることに気づいたそうです。ひいては、岡村氏のことを『戦後史を映し出す鏡のような存在』になるであろうと思うようになったといいます。
 ベトナム戦争報道にかかわった、岡村氏とほぼ同年代の書き手である本多勝一・開高健を取りあげて、報道姿勢や生き方を比較します。そして、自分の人生をかさねあわせてみることで、岡村氏にはあって自分たちに欠けているものをあきらかにすることができるかもしれない、と述べています。

 おおまかに以降の内容を紹介します。

 第1章では、

を書いています。
 注目すべきことは、
 手がかりになるのは、彼が命をかけて撮りつづけてきた多くの報道写真と彼が生前に発表した膨大な量の著作類だけである。それらのなかにだけは、彼の偽らざる足跡が刻印されているはずだからである。したがって、岡村昭彦という謎がどこまで解けるかは、それらを彼の年譜と重ねて、どこまで読み込めるかにかかっているといっていい。
(p19)
と著者が断じていることです。彼が亡くなってからまだ10年ちかくですから、しようとおもえば、関係者たちから話をきいて書くこともできたようにおもわれます。しかし、そうしなかったようです。どういう理由なのかあきらかにはされませんが(玉木氏には、ジャーナリズムを主題にした著作がすでに2冊あり、聞き書きという方法が思い浮かばなかったとはかんがえにくい)。
 それゆえか、
 したがって、ここでどのような岡村昭彦像が示されることになるにしても、それはあくまでも彼の年譜と彼が残した多くの著作類から抽出されたかぎりの岡村昭彦像、再構成されたかぎりでの岡村昭彦像、したがって肉体をもたない岡村昭彦像ということになる。が、それがいささかでも、実際の岡村昭彦の魅力を減じてしまうことになるとは思われない。
(p20)
とことわりともひらきなおりともとれるような言い方をしています。

 第2章は、ベトナム戦争に関わる以前をとりあげています。

 第3章では、ベトナム戦争に関わったジャーナリストとして岡村昭彦をえがき、ハルバースタムに比するという高い評価をしています。

 第4章では本多勝一、第5章では開高健の年譜や著作を説明しつつ、ベトナム戦争に関わる前と後との相違や岡村氏との比較をしています。

 第6章は、ベトナム戦争以後の活躍を述べています。

 エピローグは、「公」と「私」に関する見解とかんたんなまとめです。
 『庶民の出自をもつ本多勝一や開高健は、必然的にそのような庶民の心性、精神の在りように根拠をおく戦後的な価値観、「戦後的ななるもの」に依拠して生きざるをえなかった』のに対して、岡村昭彦は『自分の兄たちの世代が戦った戦争の責任を自分の身に引き受け、国民の一人(彼にはそう思えたはずである)として戦後の社会、戦後の歴史に責任をもって生きようとした数少ない戦後世代の一人であった』と評しています。

 あとがきの冒頭で、戦後が終わったという玉木氏の実感が述べられています。戦後は庶民がはじめて庶民として生きられた時代だといいます。庶民が私性に依拠して生きていくしかない存在であるのに対して、岡村昭彦は『庶民とは逆に、戦後においてもなお、「公」に依拠して生きることができたたぐい稀な人物』と記しています。

 「自分の人生にまつわりつく不全感のようなものをつきとめてみたい」という著者の志(のようなもの)そのものは高く買いたいですが、「岡村昭彦の人生の軌跡をたどることで」という方法が適切だったとは、おもえませんでした。
 岡村氏や本多氏の人生や著作に「公」と「私」の2分法をあのように公式的に適用していいのかしら、と疑問に感じます。(話はわかりやすくなるとおもいますが、それだけの効果しかないのではありませんか?)

 岡村昭彦という人物がどういうことをしたのか、どういうものを書いたのか、(私には)よくわかりませんでしたが、(すこし)調べてみたくなりました。あとがきには、

 本書ができるだけ多くの人に岡村昭彦の著作、その存在意義を見直す契機になってくれることを心から願っている。
(p242)
と書いてありますから、興味を持たせるという点では成功しているのかもしれません。

 全体を通して、書かれた資料に忠実なことがわかり、そのことには好感をもちました。
 と同時に、書かれた資料以外のものを本当に参考にしたのかどうか、疑問を持たざるをえませんでした。

 本を手にとってぱらぱらとめくってみれば、すぐに気づくことですが、カヴァーの迷彩服を着た男(の子)以外に写真はありません。
 それどころか、岡村昭彦が撮った写真や他の写真家の撮った写真・他の写真家についての記述がほとんど見当たらないのです。

 ふたたび同一個所を引用しますが、

 手がかりになるのは、彼が命をかけて撮りつづけてきた多くの報道写真と彼が生前に発表した膨大な著作類だけである。それらのなかにだけは、彼の偽らざる足跡が刻印されているはずだからである。したがって、岡村昭彦という謎がどこまで解けるかは、それらを彼の年譜と重ねて、どこまで読み込めるかにかかっているといっていい。
(p19)
とありますので、報道写真もよみこんでいるはずです。巻末の参考文献にも岡村昭彦自身の手による写真集が2冊挙げられています。それにもかかわらず、写真および写真家については、ほとんど語っていません。

 また、わずかながら写真について語っているところも、他人のことばをまたがりしたり引用を駆使して逃げ切っているような感じです。
 たとえば、第3章「戦争を生きたジャーナリスト」では、『シャッター以前の思想』に言及しているところはありますが、報道写真論に対する批評や意見・感想というカタチにとどまり、玉木さんはご自分のことばで批評や意見・感想を述べていないようです

 岡村昭彦に対してとても高い評価をあたえていますが、かならずしも十分な説得力をともなっていないように見受けられます。ところどころ、素朴な実感の表明(というか無防備な賛辞というようなもの)になっていて、何か気はずかしい気分にさせられました。


付記

 批判はしましたが、第4章の『戦争の衝撃――本多勝一と岡村昭彦』だけでも一読の価値はあります(この章くらいでしたら、立ち読みで読めます)。


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