4.まろやか/しぶみ仮説

フレーバーコーヒーの珈琲科学館に「松屋式ドリップを極める」というコーナーがあります。ここにうまみとしぶみについてその性質がつぎのように書かれており、松屋式ドリップがその性質をつかったものであると説明されています。

 

うまみ ・高い濃度の水溶液(ものをとかす力がよわい)にもとける。

・全体としてとけやすい。

・低温でもとける。

・吸着されにくい。

しぶみ   ・低い濃度の水溶液(ものをとかす力がつよい)にしかとけない

・全体としてとけにくい

・低温でとけにくい

・吸着されやすい

 

これを私はもう少し表現をゆるめ、「まろやか/しぶみ仮設」としてつぎのようにしてみました。

 

 「まろやか成分は全体として溶けやすく、高い濃度の水溶液にも溶け低温でも溶けるのに対し、しぶみ成分は全体として溶けにくく、低い濃度の水溶液にしか溶けず、低温では溶けにくい」

 

言わんとしていることは似ていますが、私なりの整合性をとるための変更です。文献[]で、「うまい・まずい」は個人の嗜好の問題であってそこには客観的な評価そのものが介在しにくい、と言われていますが「うまみ」という言葉は「うまい」に通じて客観的な評価がしにくいと思われます。まろやかさはブラックで飲めるかという基準に相通じるところがありますので、「うまみ」より「まろやか成分」としました。

「まろやか成分」や「しぶみ成分」が化学成分として何を指すのかが明確ではありませんが、食品一般のくちあたりのよい成分の代表である糖類やアミノ酸は溶けやすいものですし、塩のようなものは溶けにくい性質を持っています。コーヒー協会エカワ珈琲店のサイトの「コーヒーの味の科学」にはコーヒーの味を構成する成分について詳しく書かれています。残念ながら私にはまろやか成分に相当する成分がどれで、しぶみ成分に相当する成分がどれかはわかりません。まろやか/しぶみ仮説が科学的にどの程度支持されるのかは興味あることではありますが、私はこの仮説が成立するものとしてみました。そうしますと、サイクロン式による抽出と一般のドリップやサイフォンとの違いもこのまろやか/しぶみ仮説で説明できるのです。

 

まず、ドリップ式の抽出ではまろやか/しぶみ仮説からはどのように考えられるでしょうか。一般のドリップ式では抽出されたコーヒー液が落ちていくのを補充するようにつぎつぎと新たな湯が注がれます。コーヒー粉の周りはそれほど濃くない水溶液が囲むのでしぶみ成分も溶け出すことになります。まろやか成分が十分ある注湯のはじめの段階ではコーヒー粉の周りも濃い水溶液が囲んでいますが、まろやか成分の多くが溶け出してしまうとコーヒー粉の周りは低い濃度の水溶液が囲むためしぶみ成分が溶け出してきます。ドリップ式抽出手順の教科書には人数分のコーヒー液ができればそこで抽出を終わり、ドリッパーに残った抽出液は捨てるように書いてあるのはこのような理由であると考えられます。

 

一般のドリップに対して松屋式ドリップはうまみ成分だけをとりだす工夫がされているようです。すなわち、蒸らし時間を3~5分とうまみ成分が溶け出す準備時間を長くしたのち注湯の間中ひたひた状態を保ってコーヒー粉の周りをできるだけ濃い水溶液しか通らないようにします。しかも、抽出液が人数分の半分くらいのところでうまみ成分の大半が溶け出したと考えて注湯をストップ、あとは湯を注ぎ足して人数分の量にします。このようにすればしぶみ成分が溶け出す機会が少なくなり口当たりのよいうまみのあるコーヒーができるというわけです。この説明における「うまみ成分」を「まろやか成分」に代えてもそのまま成り立つことがわかります。松屋式ドリップとサイクロン式抽出に共通しているのは「濃く淹れてうすめて飲む」ということです。

 

サイフォンの場合、まろやか/しぶみ仮説からどのように考えられるでしょうか。サイフォンの手順ではドリップでの蒸らしに相当するものはありません。フラスコで高温になった湯のほとんどが短時間でロートに上ってきますので、コーヒー粉全体はいったん湯の上に浮いた状態になります。つぎにコーヒー粉が竹ベラで攪拌されて、ロートに上がった湯全体と混じってコーヒー成分が抽出されることになります。コーヒー粉の方から見れば、蒸らされることなく濃度の低い大量のしかも高温の水溶液にさらされますので、まろやか成分と同時にしぶみ成分も溶け出すことになります。つづいて吸引が始まり抽出液は短時間でフラスコに降りて終わります。フラスコの湯が沸騰してからロートをさしたり、上がってきた湯とコーヒー粉全体がいきなりぐらぐらと交じり合う状況が続くほどしぶみ成分は溶け出しやすくなるはずです。このように見ますと、サイフォンの場合フラスコから上がる時の湯温があまり高温にならないような工夫や、ロートの中で湯が踊らない火加減とか、竹ベラで攪拌する際の技術が重要であろうことが想像されますが、サイフォンの抽出技術の専門書(文献[13]など)にはそのことをうかがわせる記述がみられます。

 

サイクロン式抽出では抽出のプロセス中にコーヒー粉が薄い水溶液にさらされる状態はほとんどありません。まろやか成分は溶け出してもしぶみ成分はあまり溶け出さず結果としてブラックでも飲めるまろやかなコーヒーが出来ます。一般のサイフォン抽出手順に対して、サイフォンをつかったサイクロン式抽出はまろやか成分だけをとりだすものになっています。まず、ドリップと同じく蒸らしをして抽出の準備をします。つづいて湯を注ぎますが、抽出液が人数分の半分になるようにあらかじめ計量した湯を注ぎますので濃さが保たれしぶみ成分が溶け出しにくい状態になっています。そして濃度の高い状態のまま真空吸引しますのでしぶみ成分が溶け出す機会がほとんどないことになります。これがサイクロン式抽出がまろやかな味になる理由と考えられます。