「『深夜特急』はノンフィクションではない」と沢木氏が発言?!

2000年07月20日

   


 注意!

 題名のおしまいに「?!」をつけています。無用な誤解はさけたいため、事前に一言だけ申しあげておきます。


はじめに

 『深夜特急』がノンフィクションであるかどうかについて、WWWにはさまざまな感想や意見・批評があります。

 はっきりと言いますが、単なる勘ちがい(としかおもえないもの)、あんいな決めつけ、わかっているのかどうかあやしいものなどが、たくさんあります。一方で、感心させられた意見や評も(数は少ないですが)いくつか存在しています。

 私の見解をかんたんに言ってしまいますと、「ほとんどまちがいなくノンフィクションでしょう」というものです(「ほとんど」と書いたのは、それなりの理由があります。話を混乱させないため、ここではふれませんが)。

 現在もノンフィクションであろうことを(基本的には)疑っていません。じっさいに十分な論拠や説得力をもって「ノンフィクションではない(ないだろう)」と述べている文章を、(私の知っているかぎりの本と雑誌・WWWでは)読んだことがありません。

 しかし、一つだけ、気になっている文章がありました。

 沢木耕太郎作品非公式ウェブページ〜私は旅をする〜にある彼の作品〜『深夜特急』〜で、

 1998年1月20日発行『SWITCH』では、「『深夜特急』は僕のなかでは、ノンフィクションではないのです。自分の流れにあてはま らない。自分の仕事の系譜とは違うという意識が、正直今も あるな…。」と語っている。
と書かれていることです。

 このインタビューのなかで、沢木氏本人がほんとうに「ノンフィクションではない」と言明しているのでしたら、私がいだいていた考えは修正を余儀なくされるでしょう。ばあいによっては破棄しなければいけなくなるかもしれません。

 沢木耕太郎作品非公式ウェブページ〜私は旅をする〜の作成者であるやんべさんに、このことをメールでたずねてみました。

 やんべさんのメールによると、「ノンフィクションではない」とはっきり語っているようです。

 お返事をいただいたにもかかわらず、まだ判然としない気分でいます(疑いぶかいせいなのでしょうか……)。

 私の結論は「SWITCH」をきちんと読んだあとに、あらためて述べさせていただきます。
(「月刊カドカワ」と「SWITCH」の該当する号を探しているものの、まだ見つけられません。)


感謝とおわびのことば

 メールの往復を掲載するにあたって、メールの転載を許可してくださったやんべさんに感謝いたします。

 とともに、掲載がとてもおくれてしまったことについて、やんべさんにおわびいたします。大変もうしわけありませんでした。


メールの往復

 メールの往復を以下に掲載します。


 付記

 やんべさんのメールアドレスは、沢木耕太郎作品非公式ウェブページ〜私は旅をする〜にも記載されているとおり、yamve@imasy.or.jpです。

 HTML化するにあたって、改行をあらためたところがあります。また、彼の作品〜『深夜特急』〜をくりかえし引用していたところが悠長でしたので削除し、削除した箇所を不自然なくつなぐため一ヶ所だけ助詞を変えました。

 上記の作業は、文章を見やすくするためという目的のためだけにおこなったものです。内容面の変更はほとんど考慮する必要がない、とおもわれます。


 ふるやのメールから

 彼の作品〜『深夜特急』〜で、
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この作品について沢木は、1990年12月1日発行『月刊カドカワ』 で「(旅行から)10年たってみると忘れるべきものは忘れて、 覚えているものは覚えているというふうに整理され、全体の 旅の姿が見えるようになったんです」と語っており、1998年 1月20日発行『SWITCH』では、「『深夜特急』は僕のなかで は、ノンフィクションではないのです。自分の流れにあてはま らない。自分の仕事の系譜とは違うという意識が、正直今も あるな…。」と語っている。

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と書かれていることについてですが、「僕のなかでは、ノンフィクションではない」と語ったそうですが、そのことがとても気になりました。どのような文脈でこういうことを言っているのか、知りたいのですが、教えていただけないでしょうか。

 もう一つの質問は、ここの箇所がとくに気に入っているので 引用されているのだと思うのですが、どうしてここの箇所を 取り上げたのでしょうか。気に入っているわけ(のようなもの) を知りたいのです。


 やんべさんのメールより

>彼の作品〜『深夜特急』〜で書かれていることについて
>ですが、「僕のなかでは、ノンフィクションではない」と語った
>そうですが、そのことがとても気になりました。どのような文脈
>でこういうことを言っているのか、知りたいのですが、教えて
>いただけないでしょうか。

「ノンフィクションの系列の中に「深夜特急」は入らないな」 と語った後に、「「深夜特急」ほど、ノンフィクションの ルールを守っている作品は内と思うのですが」と訊ねるインタ ビュアーに向って、沢木さんは「旅は検証不可能でしょう。 自分以外は」と語っています。

> もう一つの質問は、ここの箇所がとくに気に入っているので
>引用されているのだと思うのですが、どうしてここの箇所を
>取り上げたのでしょうか。気に入っているわけ(のようなもの)
>を知りたいのです。

 ノンフィクションということにこだわっている沢木さんが、自らの作品を「ノンフィクションではない」と語っているので興味深かったからです。なお、「ノンフィクションではない」だけでは、さびしいので、他の作品では沢木さんが語っている情報源は「SWITCH」「月刊カドカワ」のどちらか一つのみとしましたが、バランスをとるために、2つの情報源としました。


 ふるやのメールから

>> もう一つの質問は、ここの箇所がとくに気に入っているので
>>引用されているのだと思うのですが、どうしてここの箇所を
>>取り上げたのでしょうか。気に入っているわけ(のようなもの)
>>を知りたいのです。
>ノンフィクションということにこだわっている沢木さんが、
>自らの作品を「ノンフィクションではない」と語っている
>ので興味深かったからです。

 なるほど。そうでしたか。

 「ノンフィクションではない」とはっきり語っている わけですね。

 「『深夜特急』は僕のなかでは、ノンフィクションではないのです。(以下略)」という発言のなかでは、『僕のなかでは』というのがキーワードだと、私は考えていました。

 つまり、「じっさい書かれていることはノンフィクション以外の何物でもないのだけれども、沢木さんのなかではノンフィクションとは言い切り難い何か(整理しきれぬもの)が存在している」というような話をしているのかなあ、と想定していました。


考察

2000年07月20日

 

 やんべさんによると、はっきりと「ノンフィクションではない」と語っているようです。

 メールに書いたことをくりかえします。

 「『深夜特急』は僕のなかでは、ノンフィクションではないのです。(以下略)」という発言でキーワードになるのは、『僕のなかでは』というところだ考えていました。

 「じっさい書かれていることはノンフィクション以外の何物でもない。だけれども、沢木さんのなかではノンフィクションとは言い切り難い何か(整理しきれぬもの)が存在している」
というような話をしているのではないか、と想定していました。

 「ノンフィクションではない」という発言には、判然としない気分でいます。

 「SWITCH」をきちんと読むまで、結論は保留します。機会がありましたら、あらためて述べさせていただきます。


moto@ua.airnet.ne.jp


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