2001年08月14日
200ページちょっと、13に章立てされている『ベトナムの微笑み』は、よみやすい文章で書かれています。にもかかわらず、構成はわかりにくく、内容は雑然としています。
第1章は辞令を受けたことにはじまり、ベトナム大使館へ足をはこび商務官に話を聞きにいったこと、ハノイに到着してかんがえ感じたことなどが、書かれています。
第2章は、ホテルからHang Chuoi(バナナ)通りの家(←じつは社宅)へ引っ越ししたこと、シクロのこと(なぜかダナンに出張したときの挿話が挿入されています)、ベトナム民族楽団をまねいてのファミリーコンサート、ハノイの絵画事情にふれています。
第3章は、ベトナムでのビジネス事情とご自分の仕事について非常にはしょった紹介がなされ、政府関係のプロジェクトの入札光景が(この本にはめずらしく)めんめんと描写されています。
以降、他の本から書きうつしたようなベトナム人賛歌とテト(旧正月)時のお宅訪問記がいっしょになった4章……とつづきます。
最後の章は、本社から転勤の指示を受けたため滞在をはやめに切り上げざるをえなくなったこと、つぎに入居する家族を大家さんのために紹介してあげたという話でおしまいです。
「ハノイ暮らし……」と副題にあるものの、ハノイ〜ハイフォン〜ハロン湾の出張時のようすやフエに行ったときのこと、さらにはツボレフ搭乗記まで書かれています。
およそものごとが起きた順に書くという小学生の日記によくあるスタイルを堅持されているようです。「なるほど」と感心させられる指摘やしんみりとするエピソードが散見されるものの、(全般的に)メリハリがありません。前後の文脈を無視して(気にせず?)まんべんなくあれこれと書いてしまっているせいでしょう。
もっともそのおかげで、順番どおりに書かれているであろうものがどこからでも読めるという奇怪(不思議?)なものになっていて、得がたい長所(?)にもなっています。前後のつながりをまったく気にせずに読みすすめることができる人にとっては、こんなに読みやすい本はないと感じるかもしれませんから。
お仕事の話は何かさしさわりがあって書けなかったのでしょうか。会社のつごうですか。『私の仕事は情報通信関係部門だった』(p44)程度の説明しかありません。政府プロジェクトの入札風景以外に仕事の光景は、ほとんど何も書かれていません。
平成七年(一九九五年)三月一日付けで、私は三井物産のベトナム・ハノイ事務所所長代理の辞令を受け、一ヵ月後、荷物をまとめ、現地に赴任した。長男と二男は日本に残し、妻と三男が後からベトナムへ来る。という書き出しではじまり、転勤の辞令で(実質上)おわる本にしては、会社の仕事についての記述はとても貧弱です(というのは考えちがいで、こういう書き出しではじまる本だからこそ会社(でしていること)の記述が貧弱なのかもしれません)。
(p9)
それでは、樋口ファミリー、樋口氏と妻・三男はどういうハノイ生活をおくられたのでしょうか。残念ながら、ヒントになるようなことさえ書いていない。ときどきヨメさんという方のコメントが登場してくることや家電製品をこわす人として以外は、ご家庭(のようす)はほとんど出てきません。あとがきで『私たち家族にとって、ベトナムとは一生の付き合いとなるだろう。』と書いているのに、です。
商社マンがベトナムでどういう仕事をしているか、駐在員とその家庭のメンバーはどういう生活をおくっているのか、この本を読むことですこしはわかるのではないかと期待をもってよみましたが、まったく見当はずれ期待はずれもいいところでした。
物産、物産(←三井物産というおおきな商社の略称です)と会社名が何度も出てくるわりには、じっさいにしている仕事への言及はほとんどないにひとしく、(第3章第1節のなかなどに)はばかるように手短にふれている程度です。どういう仕事をしているのかが読者がわかるように書いてないのは、著者に責任があります。言及すら少ないのですから、自分のしている仕事を会社から一歩はなれた視点から位置付けられるわけがありません。
そして、ふつうに暮らしているハノイ人から見ても(←そもそも見る機会があるかどうかあやしいものですが)、現地でつつましく暮らしている日本人から見ても過度に豪勢な生活を(おそらくほとんど自覚なしに)おくられていたであろうことが、文章のはしばしから容易に推察できるのですけれど、樋口さんはそういった生活スタイルについても(あえて)ふれようとするお気持ちはもてなかったようです。
この本もよくある「商社員レポート」と同様の精神性(メンタリティー)にもとづいて書かれているのでしょう。、会社の文脈をぬけでる努力のあとさえうかがえないことも、大名生活への自覚のなさも、おなじです。
とはいえ、あまたある「商社員レポート」とくらべると、雲泥の差で読みごたえがあります。たしかに新味を出しています。示唆にとむ話や参考になる話が少ないながらもあります。
この本が読めるものになっているのは、平凡なことですが、「著者が何事も体験してみることをモットーにし、かつ、じっさいに見聞きしたことを(中心に)書いている」ことに尽きるでしょう。キウというストリート・チルドレンが英語学校にかよう費用を援助してあげたり(第5章3節)、大家さんのためにつぎに入居する人を紹介してあげるエピソード(終章)など、(この本を見るかぎり)著者は身近にいる人に対してそれなりに親切であることがうかがえます。そういうところが欠点を多少はおぎない、読後感をやわらかくホッとしたものにしているのではないかとおもいます。