コーヒーインブラックと読みますが英語ではなく、コーヒーをブラックで飲むことを勝手に短く言ってみたものです

よいコーヒーはブラックで飲める?

コーヒーの「よい味」と「わるい味」を確認するためには、味の再現性の高い安定した抽出方法が必要です。私が提唱する「サイクロン式」抽出法を使うと、抽出のブレによる味の変化が少なくなり、結果、生豆、焙煎といった抽出以外の要素による「よい味」と「わるい味」の評価がしやすくなりました。そこで、まず「サイクロン式」抽出の概要を記し、それを利用して私の考える「よいコーヒー」の評価基準をまとめてみます。
皆様のご意見がいただければ幸いです。

サイクロン式抽出法とは

ペーパードリップとサイフォンを合体したような自作の抽出器具をサイクロン式抽出器と呼んでおりますが、これは図1に示しますように、パッキンのついたドリッパーと、コーヒーサーバーから構成されます。具体的な使い方は 「サイクロン式抽出器の淹れ方」をご覧ください。

図1 サイクロン式抽出器

この抽出器の機能的な特徴は、ペーパードリップと同じく蒸らし時間と湯温を自由に変えられかつサイフォンのような急速抽出ができることにあります。
このような抽出法を私は「サイクロン式」抽出法と呼んでおります。

圧力による強制抽出ですので短時間でもコーヒー粉を細かく挽くことにより十分に濃いコーヒー液ができますし、抽出時間が短いことは抽出のブレが少ないことにつながっていると考えられます。

                  コーヒーをブラックで飲む

                  よいコーヒーとは

                  雑味の有無

                  ブレのない抽出

                  まとめ

                  参考文献

きっかけ

私がはじめてレギュラーコーヒーに出合ったのは高校生の時でした。
自宅で豆を挽いて淹れて飲むようになったのはもう少しあとですが、思えばこの40数年は淹れ方というものに大した進歩もなく淹れていたものです。
ある日淹れたコーヒーがとてもおいしかったので、次の日も同じ豆で同じようにしてみるのですがどうも味がちがう、という具合でコーヒーというものはなかなか同じ味に出すのが難しいと思っていました。
それが3年ほど前にあるきっかけでサイクロン式抽出器を考案いたしました。
その抽出器は原理的に短時間で抽出できることは明らかですが、味の面で従来からある抽出器との違いはあるのか、あるならそれは何なのかはっきりさせる必要がでてきました。

ペーパードリップとの比較のためには、ペーパードリップでの最善の淹れ方で淹れたものと比較しなければいけませんので、上手な淹れ方をネットの情報や本で勉強したり、銀座のカフェ・ド・ランブル(ここはネルを使ってますが)に通ってカウンター越に見学したりしました。
家でコーヒーを飲むときは私が2人分淹れて、夫婦で一杯ずつ飲みます。このとき妻は必ず味の感想を言ってくれますのでおいしかったかそうでなかったかは二人の感想を合わせて評価しています。
するとペーパードリップで淹れるかぎりでは、二人とも「今日のコーヒーはおいしい」と思う日と、「なにこれ」と二人ともおいしく思わない日が半々かもしかするとそれ以下だったような気がします。
それが、サイクロン式抽出器に変えるとかなり安定して同じ味が出せるようになって来ました。

私の腕が上がったと考えられなくもありませんが、使い始めた時から失敗が少なく、大抵はおいしい範囲に入るようになりましたので、器具によるところが大きいと思っています。
普段ペーパードリップでコーヒーを淹れている知人10数人にサイクロン式抽出器を使ってもらってその感想を聞きました。
人の嗜好はいろいろなので、味に対する予見を与えるようなことはいわずに、短時間で抽出ができることだけをこの抽出器の特徴と説明しておきました。
すると、その感想のほとんどに「これで淹れるとおいしい」という意味のことが言われているだけでなく、「これで淹れたコーヒーはブラックでも飲める」とか、「いままでブラックで飲んだことがないおばあちゃんがブラックで飲んだ」とかの感想もあるのです。

このようなことから、「おいしい・まずい」ではなく「ブラックで飲める・飲めない」という評価基準の可能性に気づいたのが今回の投稿のきっかけです。
私は毎日最低でも5回淹れていますので3年間で5,000回以上淹れている勘定になりますが商売で淹れておられる方とは桁違いに少ないはずです。その程度の経験ですのでよく分かっていないまま短絡的なことを言ってしまうかもしれませんが、素人の一般消費者の一人が考えたことということでお許しくださるようお願いいたします。


コーヒーをブラックで飲む

前置きはそれくらいに本題に入りたいと思います。
まず題名の「コーヒー飲ブラック」は私の娘による造語でコーヒーインブラックと読みます。
Coffee in Black という英語はありませんので外人が聞いたら意味不明な英語と思うでしょうが、コーヒーをブラックで飲むことを少し気取って言ってみたものです。

「よいコーヒーはブラックで飲める」といったらどれくらいの方が同意するでしょうか。ここで言いたいのは、ブラックで飲めるかどうかであって、おいしいかどうかの話ではないということです。ブラックで飲んだことがない人、あるいはコーヒーはミルクと砂糖を入れて飲むのが一番おいしいと思っている人には、ブラックで飲めるかどうかなど興味もないでしょう。

私も長い間、通はコーヒーをブラックで飲むらしいが自分は別に通ではないからと、砂糖こそいれないものの必ずミルクとかブライトを入れて飲んでいました。
まろやかな苦さがよくて、わざわざ無理してブラックで飲む気はしませんでした。
以前勤務していた会社ではインスタントコーヒーにブライトを混ぜて飲んでいました。
それがある時事業所が変わり、たまたま砂糖もミルクもないことが続き、やむなくブラックで飲む日が続きました。
ところが飲んだあとの口の中のスッキリ感がよくて、だんだん慣れてくるともうミルクやブライトがあっても使わなくなりました。
そして自宅で淹れるコーヒーもブラックで飲むようになり、同時にブラックで飲むに耐えないコーヒーもあることがだんだんわかってきました。苦すぎるとかすっぱいというのではなく、雑味があるというのが近い表現でしょうか。ミルクでも入れないと飲めないのです。目詰まりして落とすのに時間がかかりすぎたときなどそれがよりはっきりするのが分かりました。
「ブラックで飲めないのはよいコーヒーではない」というとまわりくどい響きがありますが、論理的には先ほどの「よいコーヒーはブラックで飲める」というのと全く同じです。


よいコーヒーとは

よいコーヒーとは何か。著名なバッハコーヒー&グループ代表田口護氏が参考文献[1]で定義されているよいコーヒーとは、つぎの4条件をすべて満たしているものです。
1)欠点豆のない良質な生豆
2)煎りたてのコーヒー
3)挽きたてのコーヒー
4)いれたてのコーヒー
上記1)は発酵豆やカビ豆などの少ない生豆のことで必ずしも値段の高い生豆を意味していません。
2)に関しては、焙煎後2週間以内が目安といわれています。
豆のままで保存し、抽出する直前に粉に挽くというのが3)の意味するところです。

また、文献[9]には、「よいコーヒー」ならばその中で「おいしいコーヒー」と「まずいコーヒー」に意見が分かれ得る、「わるいコーヒー」に「おいしいコーヒー」はありえない、として次のように図示されています。

「おいしい・まずいは個人の嗜好の問題であって、そこには客観的な評価そのものが介在しにくい」と言われているように、おいしいかまずいかでは共通の基準のようなものが見つけにくいように思います。
そこで、誰にとっても明らかにまずいと感じられるかという観点で、飲み物としてのコーヒーのよしあしを区別することを考えてみました。

酸化の進んだコーヒーによくある舌を刺すようなぴりぴり味や、抽出に時間がかかりすぎてゆだったような味ならおそらく誰でもまずいという点で個人差が少ないのではないかと思うのです。
このぴりぴり感や湯だった味を雑味ということにすれば、雑味の多いコーヒーはだれにとってもおいしくなく「わるいコーヒー」と言ってもいいのではないでしょうか。

ところが、雑味が少々あってもミルクや砂糖をいれるとこれら雑味がまるめられてある程度飲めるようになります。
つまり、雑味の有無を正しく感じるにはブラックで味わう必要があるということになります。そこで、ブラックでは飲めないのは雑味が多い、という具合に考えれば、
「ブラックで飲めないのはよいコーヒー(液)ではない」
ということになりますし、同じ意味ですが別の言い方をすれば
「よいコーヒー(液)はブラックで飲める」
ということになります。
いちいち(液)とつけたのは、雑味があるからといってもとのコーヒー豆までよくないとは言い切れないからです。

コーヒー豆はよくても抽出が不安定でよい味になるときもあればわるい味になるときもあるのであれば、抽出で味が悪いからといってコーヒー豆が悪いとは言い切れません。そこには抽出のブレという問題があるわけで、次にそのことを議論してみたいと思います。


雑味の有無

文献[1]で「私たちが生豆生産に直接関与できない以上は、焙煎こそがコーヒー加工工程の要であり、すべてなのである。」と言われているように、焙煎を専門になさっている方は、次工程以下のカッティング(粉砕)や抽出方法によらず飲んでおいしいコーヒーができるような豆の提供にかけていらっしゃることがわかります。

さらに、「カッティングや抽出は焙煎によって生み出された有効成分を、いかに減ずることなくコーヒー液に移し替えるかの作業でしかなく、味をクリエートするという積極的な意味合いはやや薄い。」といわれており、カッティングや抽出の方法でよい味がさらに生み出されるということはあまりないだろうというように解釈できます。

私もおそらくそうだろうと思いますが、一方カッティングや抽出の方法によってせっかくのよい味と一緒に雑味も多く出してしまうこともあるのではないでしょうか。
ここに抽出のブレという問題が関係してくるのではないかと思われます。
つまり、せっかく良質の生豆を上手に焙煎したものであっても抽出のブレによっておいしかったりまずかったりする可能性があるわけです。

文献[1]では抽出プロセスのつぎの要素のそれぞれでブレが起こりうるとされています。
1) 粉のメッシュ
2) 粉の量
3) 湯の温度
4) 湯の量(湯を注ぐときのリズムやテンポ、スピードが抽出時間に影響する)
5) 時間
そして、この中で「厳密には4だけがコントロールしにくく、ブレの原因になりやすい」と言われています。

別の個所で「スピーディに抽出を完了させるというのは、うまみ成分だけを抽出し、不都合な成分はできるだけ抽出しないようにするためだ」、と言われていることと考え合わせますと、うまみ成分は抽出の早い段階で抽出されてしまうのに対し、雑味成分はやや遅れて抽出されかつ、時間が経つほど多く出ると考えられます。
雑味が少なく出たり雑味が多く出たりするブレがあれば当然最終的な味もブレることになります。

うま味成分が出て抽出が終わったとき一緒にでた雑味成分が少なければ、すっきりしたコーヒーが出来てブラックで飲めるでしょうし、雑味成分が多く出てしまった場合はブラックで飲むに耐えないコーヒーになると考えられます。これを図示してみたものが図2です。

図2 抽出プロセスにおける雑味成分のブレ


図の抽出プロセスの部分は次のことを表わしたつもりです。
1) うま味成分は早い段階で多く抽出され時間とともに抽出は減少する
2) 雑味成分は時間が経つほどより多く抽出されるが
雑味成分の量が比較的少なく出る場合と、比較的大量に出る場合がある(ブレ)
3)雑味成分が少し出た場合は、ブラックで飲めるが、
  雑味成分が多く出た場合は、ブラックで飲めない

このように抽出にブレがあっては、たとえ欠点豆のない良質の生豆の煎りたてを使って淹れたコーヒーであってもブラックで飲めない可能性があります。つまり、「よいコーヒー(豆)でも抽出したコーヒー(液)がブラックで飲めるとは限らない」ということになります。


ブレのない抽出

一般のペーパードリップによる抽出で、例えば中挽き20gのコーヒーの場合をとりあげてみますと、文献[10]によれば蒸らし時間を除いて3つ穴のカリタで300ccの注湯から完了まで70秒位かかっています。
私が試した円錐形のコーノ式名門ドリッパーでは、おなじく300ccの注湯から完了まで30秒位ですのでカリタよりブレが少ないことが期待できます。

これらに対し、サイクロン式抽出器は蒸らしのあとは湯を注ぐ操作の時間が非常に短く、中挽きはもちろん極細挽きでも数秒で完了してしまいます。
半分の湯量で1回の注湯だけ、あとは湯を注ぎ足して人数分の量にしますので注湯操作でブレる可能性が少ないと言えます。
抽出時間が短ければうま味成分が十分抽出できない心配がありますが、豆をより細かく粉砕して表面積を多くしてやることにより短時間でも濃いコーヒー(液)を取り出すことができます。これはエスプレッソと同様、圧力による強制抽出だからこそ可能なことです。

それではブレのない抽出であればどうなるかですが、同じ豆を使い同じ粉砕をするかぎり抽出プロセスで出てくるうま味成分の量も雑味成分の量も安定した一定の量になりますのでコーヒーを飲み物として比較した場合のよしあしが、そのまま焙煎されたコーヒー豆のよしあしと直結することになります。
すなわち、ブレのない安定した抽出であれば、「よいコーヒー(豆)なら抽出したコーヒー(液)はブラックで飲める」
と言えることになり、焙煎された豆も抽出された液もともに「コーヒー」と表現したとしても「よいコーヒーならブラックで飲める」と言えることになります(図3)。

図3 よいコーヒーならブラックで飲める

「よいコーヒー(豆、液)ならブラックで飲める」ということを言い換えれば、「ブラックで飲めないならよいコーヒー(豆、液)ではない」ということになります。
そこで、「よいコーヒー」の評価基準をひとつ提起したいと思います。
それは、「ブラックで飲めるならよいコーヒー(豆、液)」というものです。
詳しく言えば「焙煎されたコーヒー豆を抽出直前に粉砕し、かつ、ブレのない抽出器で抽出したコーヒー液がブラックで飲めるならもとの焙煎された豆はよいコーヒー豆である」というものです。
こう定義することによって、生豆、焙煎といった抽出以外の要素による「よい味」と「わるい味」を評価することができることになります。


まとめ

「おいしい・まずい」は嗜好の問題で客観的な評価となじみにくいが、「ブラックで飲める・飲めない」なら個人差は少なく客観的な評価ができる可能性があるのではないか。そして、一般に「よいコーヒー(液)はブラックで飲める」と言ってもよいのではないかと思います。ブラックで飲めるかどうかによってよいコーヒー(液)・わるいコーヒー(液)の評価をすることにすれば、つぎのように言えるのではないでしょうか。すなわち、よいコーヒー(豆)からはよいコーヒー(液)とわるいコーヒー(液)が出来ることがあっても、わるいコーヒー(豆)からよいコーヒー(液)は出来ない(図4)。

図4 焙煎と抽出におけるよいコーヒーとわるいコーヒーの関係

よいコーヒー(豆)であっても抽出技術のブレによってわるいコーヒー(液)が出来ることがある。しかし、ブレのない抽出を行えばよいコーヒー(豆)からはよいコーヒー(液)が出来ると考えられる(図5)。
ドリッパーの下にパッキンをつけたものとコーヒーサーバーで構成されています。使うときはパッキンの部分をサーバーにはめて使います。
焙煎のところですでにわるいコーヒーはおいしくない、焙煎のところでよいコーヒーでも抽出の仕方でおいしかったりまずかったりするが、その線引きはいちがいに言えないだろう
うま味成分は早く出ていくのに対し、雑味成分は逆に時間が経つほどあるいは温度が高いほど沢山出てしまう。雑味の出る量がやるたびに違うことがあじのブレとなる
サイクロンなら抽出時間が短く、雑味の入りかたが少ないだけに、豆のよしあしがそのままコーヒー(液)のよしあしになる
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この内容は、
日本コーヒー文化学会
の学会誌「コーヒー文化研究」no.12
に掲載された私の文章を
再構成したものです。

図5 ブレのない抽出をした場合のよいコーヒーとわるいコーヒーの関係


図5からわかるように、ブレのない抽出をしたコーヒー(液)を評価すれば、その評価がそのままコーヒー(豆)のよしあしに直結することになります。ブレのない抽出ということは現実には困難かもしれませんが、サイクロン式抽出法はブレの少ない抽出をするには役立つものと思います。
以上まとめますと、コーヒー液の評価に
「ブラックで飲めるならよいコーヒー」
「ブラックで飲めないならわるいコーヒー」
という評価基準を使い、かつブレのない抽出をすれば、コーヒー液がブラックで飲めるかどうかによる評価をそのままコーヒー豆に対して適用することができると考えられる。

私は、自作の抽出器を使ってではありますが一消費者として常に安定したコーヒーを家庭で飲めるようになりました。このことは、一般消費者でも、家庭で抽出する以前のコーヒーの品質が判断できる可能性がわずかでも高くなったといえるのではないでしょうか。


参考文献

1. 田口護、田口護のコーヒー大全、日本放送出版協会
2. 田口護、コーヒー味わいの「こつ」、柴田書店
3. 関口一郎、銀座で珈琲50年、いなほ書房
4. 楠正暢、おいしいコーヒーを楽しむ、日本放送出版協会
5. 広瀬幸雄、工学屋の見たコーヒーの世界、いなほ書房
6. 嶋中労、コーヒーに憑かれた男たち、中央公論新社
7. 黒沢学・田口護、珈琲の味の判断の熟達化、コーヒー文化研究no.3、1996
8. 黒沢学・田口護・山口貴行、珈琲の味の判断の熟達化(2)、コーヒー文化研究no.4、1997
9. 田口護、コーヒー焙煎技術の共通認識、コーヒー文化研究no.5、1998
10. 衛藤正徳、ロトを用いるドリップ式コーヒー抽出に関する研究、コーヒー文化研究no.10、2003年

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