なぜ、足柄山の金太郎になったか?
公時が一つの文化として、市民権を得たのはここで説明したように、 江戸時代の文化(浄瑠璃、歌舞伎、浮世絵)でした。
で、その文化の創造者たちは江戸に近くて(従って多くの人になじみがあって)、 かつ、史実(例えば、頼光が金時らを連れて奥州征伐に言った)とよくマッチする この「箱根界隈を選んだ」との考え方が有力のようです。
(まあ、筑波山でも、大山でも良かったわけですが、当時の交通の要所「箱根」の裏側の山奥で、何となく恐しそうなところが都合が良かったわけです。)

話としては「武士の発生」と絡めて、相模の荘園(今の開成町)で生まれた金太郎が足柄山で育ち、京都の源頼光(藤原道長の時代)に武士として仕官して、酒呑童子退治など手柄を立てる・・・・
歴史的流れとしては、やがて武士が中心となる鎌倉時代→江戸時代に繋がっていく (武士、江戸のとって都合のいい話)と主張するわけです。
日本全国には「ここぞ、金太郎発祥の地」というところがいくつもありますが、 文化・権力の中心、江戸のお膝下で、皆に親しまれる素地(インフラ)のあるところが、やはり強かったということになります。


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