歴史研究家:内田 清 先生のお話



内田清先生(写真右)は1976年春、神奈川県立博物館の「浮世絵足柄山の金太郎展」をご覧になり、大島健彦教授の講演を聞かれて衝撃を受けられたとのことです。予想と全く違う金太郎に出会ったからです。
さっそく調査にかかり、翌年、「第1回あしがら金太郎まつり」に参加しながら「坂田金時伝説・金太郎童話の成立と展開(1)」と言う論文を書かれました(『小田原地方史研究9号』)。以後、人形集めだけでなく、新聞の切り抜きから、所縁の地巡りまで、精力的に研究活動を続けておられます。

今回、「金太郎のふるさと」としての南足柄市の町づくりに貢献された内田先生のお話を伺うことが出来ましたので、ここに紹介します。
[南足柄市主催「あしがら文化広場」講演(平成7年11月28日)での内容を中心にまとめました]

金太郎説話は創造され続ける
金太郎は何年前に生まれたでしょうか?
金太郎をどのように認識しているかによって答えが分かれるようです。
1000年ほど前 平安時代:藤原道長全盛の世
ルーツは相撲使下毛野(しもつけの)公時か?
200年ほど前 江戸時代:浄瑠璃・歌舞伎・浮世絵の創造の世界
100年ほど前 明治時代:「小学国語読本」気は優しくて力持ち
  1. 1000年ほど前
  2. 200年ほど前
  3. 100年ほど前
  4. 金時・金太郎の故郷と墓所

日本各地にある金時・金太郎の故郷と墓所

ここで、疑問が湧きませんか?
「平安時代の歴史上の人物:下毛野(しもつけの)公時がなぜ、”足柄山の金太郎”になったのかしら?」と・・・
私の考えはこうです(クリック!)。

金太郎説話を色々調べられた内田先生は「金太郎のふるさと」争いは馬鹿げていると結論されています。

現在、子供は学校、幼稚園で「金太郎」を教えられません。
「金太郎の故郷」がどこだと言うより先に、放っておけば、知名度を失って忘れ去られてしまうでしょう。

近隣自治体との連帯と全国や世界を視野に入れた交流の創造と展開こそが、古くから伝えられた文化遺産を守り、21世紀の「金太郎のふるさと」を創るポイントではないか、とのことです。

内田清先生ご略歴

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