巡嶺渉渓紀行
TRAVEL SKETCH

2000

○1月、寒中の日本をしばしはなれて、夏空のタイの花たび

暖かいとは云っても、そこはまだ冬真っ最中の正月明け早々、寒中のゴルフはゴメン・・・と云うわけで、冬のさなかに夏空のもとでゴルフが楽しめる・・・と云う話に魅かれて、Oさん引率するところの、Iプロとその門弟方ご一行様のなかに約一名、場違いな男が混じって、はるばるタイくんだりまででかけてきました。
かの国もご多分にもれず異常気象とやらで、この季節は乾季のはずが、にわか雨は降るは、蒸し暑い(体感気温は35℃位?)は、樹木は紅葉しながら新芽が芽吹くは・・・と云ったありさま。
おかげで、期待に増してたくさんの熱帯花木を楽しむことができました。付録:図鑑を開いて目の保養をしてください。
キャディーはと云えば、プレーのサポートはさることながら、花の名前を教えてくれたり、判らないととどこかに跳んで行って聞いてきてくれたりで大活躍。
ワンリーさん、アムノウェイさんそれからアンポーンさん コップン カップ !!

そして、Iプロ、Oさん、そして仲間入りをあっせんしてくれたMくん、お世話になりました〜!!

「付録:不濁庵植物図鑑 ”タイの熱帯花木”」のページ

○4月、伊那谷の尺イワナと高遠のコヒガンザクラ

甲州盆地は、見渡す限りサクランボとスモモの花の白と、モモとサクラの花のピンクに染まって、春がすみの中に春爛漫の気配に満ち満ちていたと思う間もなく、韮崎を過ぎ日野春を越えたあたりから、ビデオの巻き戻しを見るように、見る見る寒々とした春未だきの景色に変わり、文字どおり信濃境を境に、ようやく春の兆しと云った信州に列車が走り込むと云う筋書きは、今回のイワナ釣りの旅の妙な違和感を取り払って、例年感じる竿はじめの釣行独特の緊張感へと、気持ちの張りを立ち戻らせてくれるのに格好のお膳立てでありました。

伊那在住のTmさんのアドバイスで入渓した三峰川水系の沢では、同行のTさんともども、久方ぶりに尺上イワナとのご対面を果たし(click here)、かかった竿から伝わってくる、あの強力な引きの感触を堪能することができたのでした。

帰路はと云えば、雲ひとつない青空に、かがやく白雪の中央アルプスを背景に、名にしおう高遠城のコヒガンザクラ(click here)の,まだ開花に間のある蕾をながめ(click here)、一挙両得と云った虫のいい話にはならなかったのでありました。

Tmさん、貴重なご助言、ありがとうございました!

○5月、雪解け間もない魚沼山地の山菜採り

ことしは、春先にまとまって降った雪がなかなか解けず、季節の巡りが普段より一週間以上も遅れていると云う塩沢のカーチャンからの知らせを受けて慣例の山菜採りの旅にでたのは、もう連休も終わった5月も半ばのことでありました。

暗に違わず、いつもの年だと入ることができなかった沢も、雪に埋まっていたおかげで奥まで入ってみると、思いがけないゼンマイの坪を見つけ、ひとりで歓声をあげた姿を木陰から熊でも覗いていたら、さぞかし悔しがったことでありましょう。

・・・と云った塩梅で、ことしも満足のいく収穫をあげることができたのでした。

温泉と銘酒「八海山」を用意して待っていてくれる、いつもの山の湯のカーチャン腕よりの山菜料理をご賞味ください。(click here)

夕日に輝く残雪の魚沼三山にカンパイッ!

○11月・12月、冬のヒマラヤ・エベレスト周辺山岳旅行

5月以降、この時のために、まわりの誘惑に目もくれず、ひたすら節制して高所トレーニングなどの準備に励んできた念願の冬のヒマラヤ・エベレスト周辺山岳旅行は、20世紀 / 50代 / 勤め人の終わりを飾る、我が人生にも希有なるメモリアル・イベントのひとつでありました。

一行は、大学時代の山のクラブ仲間にその知人を加えた8名で、これに現地から通訳兼ガイド1名、サーダー以下12名のシェルパ・コック・ポーターたち、5頭のゾッキョ(ヤクとウシを交配した家畜:荷物の運搬に使役)といった塩梅。

現役時代にもなかった20日もの天幕・キャラバン生活や慣れない味付けの食事、低温(最低が−22℃)・低酸素(平地の1/2以下)環境などで、一行はみなそれぞれ体調維持に苦労しながらもよく自己管理に努め、ついに12月9日、全員をもって未踏ルートより プモリ (7161m) の中腹 5585m の小峰に到達し、万感の思いで眼前のエベレストを仰ぎ見たのでありました。

そこで一句・・・”ヒマラヤに神のまします峰みねの雪ひだに照る十五夜の月”(不濁庵吟)

まーそれにつけても、くれぐれもお宅の金魚を飼う水槽の水はいつも新鮮なものにしてやってください!
低酸素状態での生活とはどう云うものかを身にしみて体験することができたこのたびの旅行でありました。

下山後カトマンヅ市内では、現地料理の「ダルバート・ベラコマスカリ」を肴に、地酒の蒸留酒「ロキシー」で無事を祝してカンパイッ!・・・は云うまでもなかったのでありました。

旅行期間をとおして奮闘してくれた通訳兼ガイドでトリブバン大生の Miss.T.H さんとサーダーの Mr.D.N.Sherpa さんには心より感謝します。・・・・ディレイ・ダンネバード!!

この旅行の画像記録(アルバム)を web 上に開設してあります。
ご覧になりたい方は、次の額縁を click すると、アルバムに jump します。

「ヒマラヤ・エベレスト山岳旅行アルバム」入口
夕映えの Nuptse(7856m)

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