2000年07月10日にこのページに移動
紹介や批評のなかでとりあげられなかったこと(こまごましたこと)をかきとめるためにつくりました。
2000年2月末から5月はじめまでは、朝日新聞でベトナムについて書かれた記事をひろっていました。
ページの構成を変更するつもりでいます。いくつかのページを切り分けます。「つぶやき」と「以前のつぶやき」を合わせて、別ページにします。
質問のメールをくださるのはうれしいです。ですが、しおたさん(私的ベトナム記)のベトナムなんでも会議室に質問した方が適切な内容もあります(とくに、最新の情報を入手したいときは)。FAQ(よくある質問)などを一通り読んだあと、勇気をだして質問してみましょう。
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先週、朝日新聞に掲載されたベトナム関連の記事を紹介します(新聞記事の紹介は、これでいったん打ち切りにします)。
5月1日:「ベトナム戦争終結25年」(文・写真:宇佐波雄策記者/文:立野純二記者)
ベトナムとアメリカ合州国、双方の戦争をめぐる論議や式典のようすを紹介している。
写真は南べトナム解放戦線旗をとらえている。白黒の写真ゆえに確認はできないが、赤と青の二色だそうだ。旗の中央には☆(星の印)がある。
宇佐波記者が、当時の(日本の)大学キャンパスの情景をまじえた解説記事を書いている。記事では、ベトナムの経済政策(と言うべきものかどうかは検討する必要がありそうですが)を批判している。
一部を引用しておく。
「合弁企業さえできたら、それでベトナム側の仕事は終わったと勘違いしている経済知識のない官僚が多すぎる」という問題点は多くの企業関係者が指摘する。せっかくの投資ブームも複雑な許認可システムが障害になった。それをすり抜けるためのわいろバイパスも横行。さらに業績を上げ始めた企業を標的に、いろいろな規則や条例をたてに「難題」を持ちかけては、その解決のためにわいろを要求する例もあると聞く。
5月1日:「ベトナム戦争 不必要だったとはいえない」(立野純二記者)
米テレビの討論番組で、かつてベトナムの戦場を体験した米国の上院議員たちが発言した。戦争行為そのものはまちがっていたとはいえ、戦争が不必要だったとはいえない、と。
5月1日:「『解放旗』再登場 ベトナム 高度な政治判断」(宇佐波雄策記者)
ベトナム戦争終結25周年をいわう4月30日のサイゴン(ホーチミン市)の式典で、南ベトナム解放民族戦線旗が20数年ぶりによみがえった。
旗が公式の場から消えたことは、つぎのような事情があった。
戦争が終わり南北統一にいたる約1年間のあいだ、南部の社会主義化をいそぐハノイの保守派と、時間をかけて社会主義化を進めるべきという解放戦線側の対立があった。ハノイの保守派の意見がとおり、一部の解放戦線幹部はパリに亡命した。
数年前から解放戦線の兵士たちの貢献を認めるべきだという声がたかまっていて、ホーチミン市党指導部で旗の復活が検討されていたという。
5月2日:「ベトナム元首相 ファン・バン・ドン氏死去」(共同)
ファン=バン=ドン氏が4月29日に死去したことを5月1日に政府当局者があきらかにした。94歳だった。
ドン氏は、1954年から1987年までの33年間、首相をつとめた。
この記事は『【ハノイ1日=共同】』とあって、すぐあとに『AP通信によると』と書かれている。
5月3日:「革命第一世代の重鎮 死去のファン・バン・ドン元首相」(宇佐波雄策記者)
5月2日の夕方、ベトナム国営テレビはファン=バン=ドン元首相の死を公式につたえた。
抗仏独立戦争・ベトナム戦争中の国政・外交を担当した。故ホー=チ=ミン主席・ホー=グエン=ザップ元国防相と時代をともにした革命第一世代の重鎮だった。
5月3日:「電力政策の立案支援 東南アジアでJICAなど 法・制度に踏み込む」(署名なし)
国際協力事業団(JICA)と国際協力銀行(JBIC)は、ベトナム・インドネシアなどの東南アジアの国々を主たる対象に、「電力分野知的支援」と称する行為を今年度から始める。電力政策の立案の手助けを(も?)するというものだ。現地に送る調査団には電力会社の社員などがふくまれていて、国内の設備投資が頭打ちになった電力業界に海外で商機を見つけてもらおうという狙い(魂胆?)もあるという。
5月7日:「革命の英雄見送る」
5月6日にファン=バン=ドン元首相の葬儀がおこなわれた。
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引きつづき、朝日新聞に掲載されたベトナム関連の記事を紹介します。
4月25日:「ベトナム戦争にこだわり続ける映画監督 レ・ホアンさん」(文・写真:宇佐波雄策記者)
戦争中のベトナム映画は兵士の士気を鼓舞するようなものが多かったが、だんだんと芸術や娯楽としての映画作りが主流になっているという。「サイゴンからの旅人」や「ナイフ」の映画監督であるレ=ホアンさんは、戦争を知らない世代にベトナム戦争をどのようにつたえるか、頭をなやませている。
4月28日:「曲がり角のベトナム経済」(文・写真:織田一記者)
市場経済のしくみを取り入れる「ドイモイ」政策のもとで、1990年代に入って海外企業の投資ブームがおこり高度成長がつづいた。タイのバーツ暴落に始まった金融危機は、ベトナムへおおきく波及することはなかったようだが、各国からの投資は減少した。
投資が減少したのは、投資を受け入れるベトナム側にも大きな原因があるようだ。
記事のなかから一例をあげよう。
1996年に三井化学は、ポリ塩化ビニルを製造する工場をベトナムの国営企業とともに設立した。事前にベトナム政府とのあいだで、ポリ塩化ビニルのベトナム輸入へ25%の関税をかけることを取り決めたという。しかし、取り決めは守られなかった。そのため、タイ産などの輸入品にたちうちできず、1月から操業停止にちかい状態に追いこまれている。三井ビーナの総務部長である板垣秀行さんは、「約束だけは守ってほしい」とこぼしたそうだ。
4月29日:「ベトナム戦争終結25周年 「戦後」なお未清算」(文:宇佐波雄策記者)
戦争の傷跡は年々きえている。しかし、枯葉剤に(含まれるダイオキシン?)よる障害者たちにとって、25年は苦しみの時間であった。ベトナム赤十字の見積もりによると、およそ100万人が存在する。
アメリカ軍は1961年から約10年間のあいだ、南ベトナム解放戦線の拠点をつぶすため、主に南部や中部の森林地帯へ空中散布した。
ベトナムは、3月にベトナムを訪れたコーエン米国防長官へ、枯葉剤に(含まれるダイオキシン?)による障害者たちに対する援助をもとめた。長官は科学的調査へ協力すると約束したが、ベトナム側は苦しんでいる人への救済と土壌洗浄(米軍基地があったところの周辺の高濃度汚染地帯の)をつよくもとめている。
アメリカは賠償責任をともなう「敗戦国」であると認めたわけではなく、行方不明米兵(Missing In Actionといい、MIAと略す。)の捜索以外の戦後処理はまだ手がつけられていないにひとしい。
記事では、第2国道を建設する工事が開始されたことと、コーエン国防長官がカムラン湾を使用させるよう要求したことにもふれられている。
4月30日:「戦争終結25年 ベトナム外交 米・中軸に全方位」(宇佐波雄策記者)
見出しそのまま。「インドシナ各国も重視」という副題がついている。
4月30日:「無意味な戦争 今こそ自戒を」(「ニューヨークタイムズ」25日の社説)
「ニューヨークタイムズ」4月25日付の社説の紹介。
4月30日:「『我々はなぜ戦争をしたのか 米国・ベトナム 敵との対話』の書評」(評者:北岡伸一さん)
ほめているところとそうでないところに切り分ける。
ほめているところは、
多少手厳しいところは、
この本を読んでいないため、書評が妥当なものかどうかを判断することは、さしひかえます。
ほめるところはほめながらも、評がやや辛い感じがしました(新聞の書評欄で取りあげているものにしては)。もっとも、やや辛い評しか出しようがない内容なのかもしれないのですが。
朝日新聞書評欄の2000年4月30日分に記事は出ていませんでした(そのうち出るかもしれません)。
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先々週・先週につづき、朝日新聞の「サイゴン物語」(宇佐波 雄策記者)という連載をかんたんに紹介します。4月20日掲載の第5回が最終回でした(もうすこし長くつづけてくれればいいのに)。
「Uターン」(4月20日掲載)
米国建材メーカーのベトナム駐在員をしているグエン=クイさんは、18年まえの5月に命がけで密出国した。ベトナムから密出国したときは、まだ15歳だった。
旧政権の軍人や政治家の子らは、公務員になる道はほとんど閉ざされ、民間のいい就職口もほとんどなく、自分の将来に希望を見い出せなかった。クイさんの父親は旧南政府の上院議員で、再教育センターに収容され、11年まえに死亡した。
決行は1982年5月9日、祝日で警備が手薄なときをねらった。5人が乗船、船内には即席ラーメン・水・燃料を最低限つんで、シンガポールを目指した。暴風雨におそわれ、エンジンが故障したが、なんとか8日後にシンガポール港沖に着いた。しかし、シンガポールの沿岸警備隊は入港を認めてくれなかった。係官はエンジンを修理して燃料をくれたあと、インドネシアに向かうよう命じた。13日目、インドネシア領カリマンタンのシンカワン港に着いた。
国連の難民キャンプに1年半収容された。そのあいだ、懸命に英語をまなんだ。
米国在住後、高校をへて、大学で土木工学をまなび、大学院で経営学をまなんだ。しばらく州政府職員としてはたらいたが、ベトナムにのこっている母親や兄弟たちのことを考え転職した。
米国の150万人を筆頭に、フランス・カナダ・オーストラリアなど80ヶ国に計250万人の在外ベトナム人がいる。昨年は約30万人がベトナムをおとずれた。
朝日新聞に先週掲載されていた記事で、目にとまったのは以下の記事です。
4月19日:「民主化進み 存在感アップ パワー全開韓国NGO」(小田川 興記者)
記事のなかの「ベトナム戦での『罪』追跡」というところ。
ナワワリというNGOが「ベトナム戦争に行った韓国人兵士に殺された住民がいる。韓国政府は補償をすべきだ」と主張している。
4月19日:「農民ら民主化訴えハノイで抗議デモ」(宇佐波 雄策記者)
メコンデルタのドンタプ省サデクなどからやってきた農民たち約40人が、ベトナム共産党本部ちかくでデモと集会をした。
4月23日:「小田実のアジア紀行 3つの世紀共存するベトナム」
ベトナムの友人から聞いた「3世紀が混在している。忙しい」という話と、惨状がすがたを消しつつあることを紹介する。
4月23日付の紙面で、AP通信の記事が紹介されています。
米人観光客のキャロル=ストアさんという人が、戦争博物館となったハノイヒルトン(ハノイの捕虜収容所)をおとずれた。(そのとき言ったらしいコトバを朝日新聞から引用します。)『ベトナム戦争中、毎晩のようにテレビで状況が伝えられたが、アメリカの観点ばかりだった。ベトナム人の立場から考えたことがなかった』。
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先週につづき、朝日新聞の「サイゴン物語」(宇佐波 雄策記者)という連載をかんたんに紹介します。
「ジャズレディー」(4月13日掲載)
「ドイモイの明暗」(4月14日掲載)
ゴムの廃材を利用し木工品を生産している会社の社長レ=ハイ=リュウさん、『「客を客とも思わぬ」タクシー業界に挑戦した』マイリンタクシー社長のホー=フイさん、「トイチェ」の編集局長レ=バン=ヌオイさんの3人を取りあげている。
「トイチェ」はホーチミン市共産青年同盟機関紙だが、腐敗や汚職に関してはもっとも果敢な報道をつづけてきたという。
ドイモイの裏面として、つぎのようなことをあげている。
官僚や共産党員らの汚職である。交通違反をでっちあげて、もみ消しにわいろをせびる交通警官や、空港での通関の目こぼし、カンボジア国境でのバイク・電気製品などの密輸を見逃してわいろを取る税関吏たち。国営銀行の総裁級幹部から地方党幹部らの間にまで腐敗が横行している。
朝日新聞に先週掲載されていた記事で、目にとまったのは以下の記事です。
4月11日:「コンピューターで自立したい」(宇佐波 雄策記者)
ツーズー病院で1988年に分離手術を受けたベドさんとドグさん。ドグさんはウィンドウズ98をたくみにあやつり、「身体的ハンディのあるぼくにとても向いており、とてもやりがいがある」と語る。一方、ベドさんの方は、相かわらず寝たきりの生活だという。
4月15日:「対外開放に発展の夢 地雷原から中越国境貿易の町へ」(鈴木 暁彦記者)
雲南省の麻栗坡(マリポ)がベトナムとの国境貿易の町になっているという。
気づいたことを指摘します。
『「この小型スピーカーは十五元(約二百円)。ベトナム通貨だと二千五百どんだよ」。天保地区の国境ゲート前に並ぶ商店街で、』とあるところ、おかしいと思いました。15元=200円=2500ドン?25000ドンではないのかしら?
4月15日:「ソフトな支配進む実効支配 スプラトリー諸島 比国防相に同行」(郷富佐子記者)
写真のキャプションが、記事の内容をものがたる。いわく、『「軍事目的ではない」といっても、住んでいるのは比軍兵士ばかり。灯台も中国からの船を見張る監視台となっている』。
フィリピンのメルカド国防相は「軍事目的ではない」とさかんに強調したそうです。
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朝日新聞の「サイゴン物語」(宇佐波 雄策記者)という連載をかんたんに紹介しておきます。
「パスツール通り」(4月6日掲載)
「いやしの米兵」(4月7日掲載)
4月3日の朝日新聞に掲載されていた
「海外旅行 『落とし穴』避け明るいGW」(中村 通子記者)
は、見出しと内容が合致しない記事の見本を見るようでした。ギョッとするような内容です。
はじめに『明るく元気に海外旅行を楽しむコツを紹介します。』とあるにもかかわらず、記事の始まり早々、急性A型肝炎でバンコクの病院に数ヶ月も入院するはめになった人のことを取りあげています。これを見てびびらない人は、よほどのツワモノだけではないでしょうか(ええ、私はびびりました)。「こういうこともあるんですよ」と注意を喚起することが真意なのでしょうが、旅なれていない人たちへ向けた脅しのようでもあります。
そして、関西空港検疫所の横田勉検疫課長という方のコメントをよそおい(←としかおもえないので、あえてこう書きますが)、つぎのように書いています。
横田さんによると、途上国で気をつけた方がいい代表的な飲食物は、生野菜、果物、魚介類、生水・氷、ジュース、乳製品だ。特に生水で洗い、火を通さない生野菜や果物は危険がいっぱいだという。これでは、安心して飲むもの・食べるものがないではないですか。それとも、言外に「穀物・豆類・イモと十分に火を通した肉を食べていれば安全」とでも言いたいのでしょうか。
ご丁寧なことに、果物にまで言及してくださっています。はたして果物は危険がいっぱいなのでしょうか?
これも(終わりの方まで)きちんと読むと、『切ってある果物を食べないなどの心掛けが大切だ』とあることから、おそらく「切り売りされている果物は食べない方がいい」というくらいの意図であろう、と予想がつくのですが。「果物ぜんぶがぜんぶ危ない」と受けとってしまうそそっかしい方を責められない、およそセンスに欠ける書き方です。
他には、時差ボケ・動物に注意・ワクチンが有効ということを述べています。まちがえてはいないというだけで、わかりやすく書いてあるとはおもえませんでした。JTB関西営業本部広報課長の高橋邦子さんという方のアドバイスのみが、唯一まともです。関西空港出発ロビーを撮った写真(撮影は西田裕樹記者)は、何なのでしょうか?おおよそ意図をはかりかねます。
ほんとうにどうしようもない記事だとおもいましたが、1つだけ役に立ったことがあります。
1998年に東南アジアから帰国した約281万人のうち、空港検疫所で下痢などをうったえ食中毒菌が検出された人は約0.1%(2636人)、赤痢菌が検出された人は約0.01%(296人)、コレラ菌は11人いたそうです(厚生省による)。
ちょっとびっくりしました。私が漠然と想定していた数字よりは、多かったです。
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しおたさん(私的ベトナム記)のベトナムなんでも会議室が再開されました。再開おめでとうございます。
朝日新聞に「サイゴン物語」という連載が載っています。「パスツール通り」(4月6日掲載)と「いやしの米兵」(4月7日掲載)という記事です。
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ベトナムWWWレビューに大幅に手を入れました。
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「週刊文春」の今週発売号(←朝日新聞より読むところがなかった)、つまり、2000年3月23日号に養老 孟司さんのコラム「警察官の『わがまま』をもっと認めよ」が掲載されています。そのなかに興味ぶかい記述がありました。 引用します。
アメリカのガイドブックには、ヴェトナム警察について「金で動く、世界でもっとも有能な警察」と評してあった。賄賂で動くのが問題なのは、無能だからである。きわめて有能なら、賄賂が賄賂でなくなる。(p172)うーん……。
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3月12日の朝日新聞に「『サイゴンから来た妻と娘』主人公はいまどこに」(文章:行方 史郎記者/写真:外山 俊樹記者)という記事がありました。 記事は、かなり長いものです。おおまかな紹介ですと、どうしても抜け落ちてしまうであろう、かなり微妙なことがらも書かれています。
パリにあるマンションのベランダでナウさんとユンさんが紘一さんの写真を掲げている写真も掲載されています。
ご興味のある方は、ぜひご覧になってください。
2000年03月18日
どういうふうに紹介しようか迷っていたところ、3月14日、Vietnam Reviewでとりあげられているのを知りました。2000年04月08日
Back Issues of Cover Storyの方へ移動しています。3月12日付けです。
2000年07月10日
引用します。元産経新聞サイゴン特派員の近藤紘一氏は1986年1月、胃ガンのため45歳で亡くなった。故人の著書「サイゴンから来た妻と娘」等の3部作に登場する後妻のナウさんと娘のユンさんについて、最近のベトナムブームを反映してか、その消息がネット上の掲示板で何度か話題になった。朝日新聞日曜版社会面の連載「あなたが選ぶ この人が読みたい」の12日付では、「『サイゴンから来た妻と娘』主人公はいまどこに」と題して、現在はパリに暮らすふたりを取り上げている。
ふたりの住まいは、シャンゼリゼ通りから地下鉄で20分の所にあるマンション。「ドル・オクレ・ダイシキュウ…」とナウさんが送った電報に応じて近藤氏が工面した資金で購入したものだ。娘のユンさんは「パリへ行った妻と娘」に登場するピエールさんと結婚し、今では一児の母。ナウさんは、6年前まで品川にいたが、孫が生まれたのを機にパリに渡った。
記事からは、ユンさんの父である近藤氏を慕う気持ち、ナウさんの愛情が伝わってくる。近藤氏はいま静岡県の富士霊園に眠る。
簡潔にまとめてあります(この記事のまとめ方は、私(がまとめようとしたもの)よりもうまい)。
ただ、気になる点が何点かあります。
第1点。ナウさん・ユンさんのを掲示板で話題にする人たち、とくに彼女らの消息をたずねる人が近藤さんの本の愛読者であることは、8、9割方まちがいないことでしょう。しかし、最近のベトナムブームとむすびつけてかんがえるのは、根拠にとぼしいようにおもいます。
というのは、ベトナムブーム(と言われているものの実態)は、主に女性誌で組まれるベトナム料理や雑貨の特集を見ている人たちを中核としているわけです(かならずしもそうとは言い切れない側面もありますけれど、話が面倒くさい方向にいってしまうのでふれません)。ブームにのっている人たちのなかに近藤氏の本に関心を持つような人たちが(それほどおおく)いるとは、どうしてもかんがえにくいのです。
私は、ブームとかかわりなく、近藤氏の本を読んでファンになった人たちが話題にしているのかなあ、と予想しています。
第2点。父である近藤氏を慕うユンさんの気持ちは記事からつたわってきますが、ナウさんの愛情というのははたして?
第3点。第2点と関連して、以下のような記述があることが気になります。
『 ナウさんの離婚した前夫はパリに住んでいる。このことに触れると、ユンさんの表情が少し硬くなった。
ナウさんにとっては「いい友達」で、時々ナウさんの自宅を訪れるという。』
フランス語(で話しているのだと仮定します)で「友達」を意味するamiということばは、「恋人」ということばも意味することをかんがえると……。
第4点。
もしかしら、これは近藤紘一ファンのためのサービスなのではないかしら?
ということをかんがえたくなります。ことに写真をじっと見つめていますと。
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掲示板(1ヶ月間限定)をつくってみました。
2000年07月10日
まさにつくってみただけになりました。……もうすこしくわしく書きますと、3月18日に下記のように書いたことが現実になってしまったわけです。
以前にベトなびフォーラムの「Re:思うこと」で書いたことの再掲ですが、どこの掲示板でも上記のことをこの掲示板に適用すると、私以外に書き込む人が おそらくいないということですねえ。
(見る人)>>(書き込む人)
という不等式が成り立っているように思います。いろいろな掲示板(ベトナム関係に限らず)を私が観察した範囲でいうと、
「書き込み数は見られている数の1/100以下」
です。1/1000くらいだったら、まあ、書き込みがすこし少ないなあくらいの感じではないですかねえ。1/10000くらい違うと極端かなあと思いますが。
なさけない。
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今回は、ベトナムの本 レビューの手なおしをしただけです。すみません。
しおたさん(私的ベトナム記)のベトナムなんでも会議室は、休止中で残念です。「私的ベトナム記」の方は更新されています。
ゴーアジのベトナム会議室は、以前の活気ある雰囲気にもどりつつあるのではないでしょうか。いいことです。
いしいひさいちさん書くマンガしか見るところがないような気もしないではない朝日新聞を、事情により2ヶ月間も読むことになりそうです。
ついでなので、目についたベトナム関係の記事をひろっておきます。
2000年2月29日:「遺志継ぎ支える後輩」(中沢 一議記者)
私なりに記事をまとめてみます。
高橋淳子さんという人が6年まえの冬に亡くなったそうで、彼女は4ヶ月まえに旅したベトナムのことを書きのこしていたのだそうです。彼女の両親は香典など1300万円を寄付、ベトナム中部(のどこなのだろうか?)のディエンフォック村に小学校ができました。
かつて彼女が属していたゼミの教授である江橋 正彦さんと現ゼミ生が、サポート活動をおこなっています。
USA(アメリカ合州国)共和党の大統領候補であるマケイン氏について、記事がいくつか載っていました。
たとえば、
記事A/2000年2月29日:「マケイン現象 光と影」(加藤洋一・立野純二記者)
記事B/2000年3月04日:「マケイン氏助けたベトナム人 「強運よ再び…」」(宇佐波雄策記者)
がありました。
記事Aによると、「ベトナム戦争の英雄」という経歴が人気を集めている一因なのだそうです。
記事Bによりますと、当時彼を救助したマイ=オン=バオさんという人は、『ベトナム戦争中に私が助けた米軍機パイロットが大統領選をめざす候補になるなんて』という内容のことを言ったらしいです。
2000年03月18日
江橋 正彦さんのページがありますが、取りあげた記事に関係する記述はありません。
2000年03月19日
旅行人の掲示板にこの学校のことを書いている人がいました。2000年03月17日に、nanaさんという方が書かれている「[009145] テディーベアさんへ」という記事です。引用します。
3年程前にベトナムのホイアンに行った時に、Junko schoolと言う、私設小学校へ行く機会がありました。ということで、どうもホイアンにあるようです。ストリートチルドレンのための学校ということは記事には書いてありませんでしたけれど、そうなのかな?小学校の開設を待たないでという情報は、記事とはちがっています。
ここはジュンコさんという日本人女性がベトナムのストリートチルドレンのために募金を募り、開設した小学校です。
ただジュンコさん本人は小学校の開設を待たずに交通事故で亡くなってしまったとのことですが。
詳しい住所が分からずに申し訳ありませんが、もしベトナムに行く機会がありましたらぜひこちらの小学校にも立ち寄ってみて下さい。
元気な子供達と園長先生が笑顔で迎えてくれるはずです。
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ひさしぶりに、ベトナムの本 レビューを更新しました。本の紹介・批評に近藤 ナウ『アオザイ女房――ベトナム式女の生き方』を加えました。読んでくださいね。
しおたさん(私的ベトナム記)のベトナムなんでも会議室は、休止中です。
ゴーアジのベトナム会議室のページを開けると、はじめに規約が現われ(る設定がつづい)ていました。規約なるものの中身が中身だけに、投稿しないで見るだけの人、読むだけ人に対しても、相当の威圧感があっただろうとおもわされました。目立つところに規約を掲示する必要がなくなったのでしょう。よい方向だとおもいます。
2000年07月10日追記
ゴーアジのベトナム会議室については、2000年01月31日と2000年01月23日の「つぶやき」が多少は参考になるかもしれません。
ゴーアジのベトナム会議室は、こちらに移動したようです。 規約の文面は依然として問題がすくなくないようにおもいます。
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ヤフーの掲示板にベトナム関係の記事(投稿)を(消えないうちに)リンクしておきます(各投稿のフォローの数がすくない順に)。
1月23日付で言及した記事(投稿)のことなどの影響でしょうか、再開にともない、ゴーアジのベトナム会議室には、あたらしい規約ができました。
あたらしい規約の文面のなかであらたに追加された(らしき?)
当掲示板へ投稿された記事全ての権利は当方(メールアドレスの記入のある場合は当方と投稿者の双方)が有します。というところは、とても気になります。
掲示板への書き込みについての注意と、お願いを、お知らせ致します。なお、以下の掲示板 利用規約に無条件で同意された方のみ、ご利用頂けます。と見比べつつ、気味のわるさを感じてしまうのです。
管理人さんが取られた処置の影響や上記の箇所のことなどで、しばらくのあいだ(2週間ほどは)様子見の状態が続くのではないかと予想していましたが、大外れ。急速に(元の)活発な状態に戻りつつあるようです。予想が外れて、(すなおに)よかったとおもいます。
外山 ひとみさん(http://web.parknet.co.jp/hitomi)のページには、旅行のページがあって、こぼれ話・ヴェトナム編が読めます。それぞれの話は短いのですが、おもしろい。3つ選ぶとすれば、3の『美女も泥棒もお昼寝』・4の『お尻がサルみたい…』・14の『「夕陽見物」の見物人』かな。
2000年07月10日
ヤフーの掲示板については、2000年01月23日の「つぶやき」における記述も参考になるとおもいます。
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ひさしぶりにしおたさんのページ私的ベトナム記を見たら、掲示板を一時閉鎖するということが書いてあって、びっくりしています。どうしたのでしょう?(←ここに書くよりは、しおたさんに直接うかがう方がはるかにいいですよね。わかっているのですが。)
ヤフーの掲示板で ベトナム:鉄道とバスと題するものができていました。趣旨説明では、
ベトナムの話題では、シクロだのタクシーだの、いわゆる貸切系乗り物ばかりがでてきて、切符を買ってのるというのがでてこない。と書かれています。ひとえに公共交通機関が使いにくいからなんだけど、最近はましになってきたので、路線情報と乗り方の研究をしましょうってことです。
とてもいい提案(試み)だとおもいます。ですが、ヤフーの掲示板でこういうことをしても効果があまりないのではないか、ちょっと場違いなのではないか、とも感じています(提案者以外からもある程度以上の情報が集まるようでしたら、この感想は撤回します)。
どういう方が書かれているのか気になって、プロフィールを見ると、ああ……。なぜご自分の掲示板でおやりにならないのかが不思議です。ご自分の掲示板でなくとも、ゴーアジのベトナム会議室の方がずっといいのではないかと(私は)おもってしまうのですが……。
そのベトナム会議室では、おやじどんと名乗る方の「お薦めタクシードライバーさん」という記事が発端でさまざまな方々が議論をされています。
河童さんという方の提案はごもっとも。ですが、おやじどんさんだけに向けたメッセージではなく、一般論(にちかいもの)として述べたがゆえに、(サイゴン在留者と名乗る方が書いた)「Re: ちょっとそれますが・・現実問題として」というなかなか愉快な反論(極論ではありますが)を書かれる余地をつくってしまったとおもいます(この方のお話は論としてはおもしろいだけに、『RESで誰かが親切だったとかいう話はすごく読んでてつまんないです。人の自慰行為は見たくないな。という感じですね。』というような(率直過ぎて)他人への配慮が見られない箇所があるのは残念です。それから、せっかくおもしろい反論を提出したにもかかわらず、フォローのRe: 受け手の責任は?は、ぜんぜんダメだとおもいます。自分の想定している結論に勝手にもっていって、おもしろさを(みずから)台無しにしている感じ。)。
このページを見て議論に加わろうとする方はいないとはおもいますが、念のために書いておきます。参加しようと考える方はあらためて利用規約を読んでおきましょう。
2000年01月25日
(ベトナム会議室の)上記の議論を見ることはできません。
2000年01月31日
ゴーアジ/ベトナム会議室は再開されています(1月26日に再開したようです)。再開にともない、あたらしい規約(疑問を呈さざるをえない箇所がいくつかあります)ができていました。
2000年01月31日
ヤフーの掲示板から、 ベトナム:鉄道とバスという投稿はなくなってしまい、該当する投稿はありません。というメッセージが見られるだけになってしまいました。
まだ投稿されていないか、投稿の保存期限が過ぎていると思われます。
URLを確認して再度アクセスしてみてください。
ヤフーの掲示板では、だれかがフォローをし続けていかないかぎり、記事は消えてしまうようです。
当掲示板には投稿を保存する義務はありませんとでも書いてあるのかとおもって規約などを探してみたところ、Yahoo!掲示板ヘルプに、
メッセージを投稿したにもかかわらず、そのメッセージが見つからない場合には、いくつかの理由が考えられます。 トピックは新しい議論を展開するために、一定の期間投稿がない場合、削除されます。とありました。
(個人的には)とても理不尽におもえるこの規則、まったくフォローがつかない記事(投稿)や3つ・4つしかフォローがついていないものだけに適用するというのなら、わからないでもない(たとえば、掲示板の活性化のためとかに)ですが、(ほとんど)すべての記事に適用するということなのでしょう。
おそらく数千というフォローがついている記事(投稿)でさえも消されてしまうのでありましょう。(「ベトナムってどんなとこ?」中の)「今日の為替は〜」という投稿は、意味(意図)があったのですね。よくわかりました。
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『地球の歩き方』に情報提供した(という)方が、 ここで以下のように書いていました。すこし長いですが、引用しておきます(見やすくするため、箇条書き形式に改めました。文面はそのままです。)。
これまでの旅で唯一危険を感じた国です。「地球の歩き方・ベトナム '97〜'98」の中で、やたらと危険情報を提供しているのはこの私です。いくつかご紹介しますので、参考にしてください。
- 貸し自転車特に旅行代理店や、ゲストハウス周辺にレンタルサイクルの看板が挙げられている。私は宿泊先のおやじさんに聞いて、近くの自転車屋を紹介してもらった。1日1ドル。サイゴンは自転車で廻るくらいが丁度いいところ。 しかし楽しんでいる最中、真昼のサイゴン教会の広場に鍵をかけ、教会から帰るとお約束どおり「ない」。隣りの友人のものはそのまま。
仕方ない、盗難証明書を発行してもらって保険に御厄介になろうと思い、警察へ。だが、警察はとりつく島なし。理由は簡単「盗まれたってのを、誰も証明できないだろ!」。そりゃないよ、と抗議してもここは社会主義。警察は絶対権で現行犯であるかどうかも、警察の勝手な判断に委ねられてしまう。
じゃ、貸し主の自転車屋と、「私がレンタルしたことを知っている」第3者として、自転車屋を紹介してくれたおやじさんとの双方から、貸し出し証明のサインをもらった。それを持って勇んで先の警察に行ったが一瞥したのみ。だいたい話しを聞いてなかった。自転車屋には「100$出せ!」と足元を見られ、結局値切って70$。オンラインサービスの保険会社にTELするものの、要領を得ないばかりだった。- 引ったくり
夕暮れも過ぎ19:00頃。早めに食事を済ませていたので、「飲もう!」ということになり知り合いらとバーへ。道を渡るとき、通りすぎ行くカブ(時速10kmくらい)に乗ったおやじに、首からかけてシャツの中にいれといたネックレスを背後から引っ張られる。ちょっと引きずられるが、途中でチェーンが切れて命に別状なかった。でも、腰抜けました。
おきのどくさまです。
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大学や政府機関・NGO/NPO、あるいは、在野でベトナムについて研究をしている人たちが、すくなからずいるはずです。ですが、研究している方たちのWWWを見つけるのは意外なほどむつかしい。現段階では、WWWをもっている人がすくないという結論をださざるをえません。とくに日本語のものに話を限定すれば、おそろしいほどすくない(それとも、しらべる技術がひくいせいですかねえ?)。かれら/かのじょらはこういうかたちの情報のやりとりをそれほど必要とも重要だとも思っていないのではないかしら?
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