金時娘
小宮山妙子さんは13歳の時、金時山(海抜1213メートル)の頂上にあるお父さんの経営する小さな山小屋の仕事の手伝いを始めた。彼女は「強力」をしていた愛する父親が、彼女が18歳の時に事故でなくなるまでは幸せそのものであった。
悲しみから立ち直ったとき、彼女は一つしか部屋のないその小さな山小屋に一人残って、山登りの人達にお茶のサービスをしようと決心した。
山の頂上で一人で暮らす 日本の独身女性はニューヨークはマンハッタンのアパートで一人暮しをする独身アメリカ女性と同じ悩みを持っていた・・・・下心のある男達である。
このような男達に遭遇すると、彼女はすぐに逃げて木に登り、諦めるまで待つか、どうしようもなければ、得意の柔道で戦った。 彼女は自衛のために柔道を練習していたが、その実は敬けんなクリスチャンであり、文学少女でもあった。彼女は山登り達に「金時娘」と呼ばれ、可愛がられた。

1954年の冬、死刑宣告を受けた殺人犯が牢獄を逃げ出し、金時山に登った。あとで分かったことだが、その殺人犯は「あの有名な金時娘を殺してもっと有名になろう」との確たる意図を持って山に登った。
妙子さんはその時の様子を回想する。
夜中にその男は私の山小屋に押し入ってきた。何が起きたか気づいたとき、その男は恐ろしげなナイフを私の喉に突き刺そうとしていた。がむしゃらに抵抗してその男を気絶させるまでに、何カ所も怪我をした。傷口から血が流れるまま、必死で山を下りて村人に助けを求めた。

この勇敢な出来事は彼女を更に有名にした。彼女は 金太郎(坂田の金時)の再来に違いないと噂され、以前にもまして、人々に愛された。

小宮山妙子さんは今61歳であるが 若々しく(写真参照)依然として現役で金時山の山小屋で山男達にお茶のサービスをしている。

[Some information cited from the article of The Seattle Sunday Times. Those readers who are interested in this story, please read the March 4, 1956 issue of The Seattle Sunday Times.]


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