2000年06月10日
『深夜特急』の文庫版には、対談が付されています。6つの対談、それぞれがそれなりに興味ぶかいのですが、私がとくにおもしろいとおもうのは山口文憲さんとの対談です。
対談のなかで26歳適齢期説をやや過剰なまでに強調しているせいなのでしょうか、その部分ばかりが言及され、過度な注目をあびがちです。しかし、内容はけっしてそれだけではありません。両者の外国との出会いや参考になった書物・旅行スタイルのちがいなども書いてあるのです。意図してか意図しないでかはよくわかりませんが、的を得た指摘がいくつも見られ、まるで『深夜特急』の解説を兼ねているのかのようです。
威勢のいい(?!)26歳適齢期説に魅かれるのは、それはそれで(ある意味、とても)いいことです。けれど、余裕があるのでしたら、うえに述べたこともおさえておくと、いっそうたのしく読むことができます。
対談を読んでいきましょう。
以下に、内容をまとめてみました。
「何年生まれですか」という質問から対談は始まる。ついで、「外国というものが浮上してきたのはいつごろになりますか」という質問に、山口氏がベ平連での体験をかたる。
1974年から1975年にかけて、2人ともパリに滞在していたことがわかる。12月31日は何をしていたかということをおたがいに語りあう。そのあとで、山口氏は「ところで、連れてた女の子って、フランス人ですか」ときく。沢木氏は「これにはいろいろ難しい問題がある」とかわす(にげた?)。
旅の先達として、山口氏は金子光晴を挙げる。パリの森三千代のアパートを金子光晴がたずねるくだりを述べつつ、「ああいう男になりたいと、若い頃は真剣に思った」という。沢木氏は、小田実『何でも見てやろう』とともに、竹中労の東南アジア紀行・井上靖の連載物・檀一雄のポルトガル滞在記を挙げる。
金子光晴の話に戻り、話題は「旅を書くこと」に進展する。
沢木氏の問いに答える形で、どうして香港だったのかということを山口氏が説明する。アグネス=チャンに出会う機会があって、彼女に感化されたという。
『九龍のオーシャン・ターミナルから上陸して、頭の中の地図に従って歩いて行ったら、ネイザン・ロードに出た』という山口氏に対して、沢木氏は『事前に地図が頭に入っているということはまったくなかった』という。2人の旅行スタイルで対照的なところがあきらかになる。
「ハワイはいい」ということで意見が一致する。ハワイにおける一日の過ごし方を話す。
旅をはじめるには香港やハワイがいい。5〜6万円のツアー旅行からはじめるという選択は正しい。だが、その選択が生かしきれていないようにおもうと述べている。「買い物だけが香港じゃないんだから」と山口氏はコメントする。
再度、26歳適齢期説に言及する。
対談ならではの(お)気楽な雰囲気が好きな人や、話者の発したなにげない一言におもしろさや楽しさを見いだす人もいるでしょう。「あまりかたいことを言わなくてもいいのでは」と感じられる方もいるかとおもいます。すぐに「読みどころ」に移行しても、これより下の文章を理解することにそれほど影響はしません。ですけれど、余裕があるなら、ここも読んでいただきたくおもいます。
すこしだけ対談について触れます。ややかたくなりがち(いつものこと?!)なのはやむをえないこととはいえ、もうしわけありません。
つぎにあげることは、対談というものの長所でもあり短所でもあるのかもしれません。対談における対話は、話している人たちがすでに話してきたことや書いていることのくりかえしになってしまいがちなのです。
対談はよりわかりやすく説明されていて、著書・訳書を理解するためにとても役立つことがあります(役に立たないものも少なくはないですけれど、ほとんどの対談は著作より平易です)。難解な語句を使いがちな人(たち)の著書・訳書を読むときは、ことさら有効な手段だとおもいます。
また、くりかえしであってもべつの文脈で述べていることにより、今までつながりがないとおもっていたことのつながりやあたらしい意味が発見できることもままあります。
逆に、対談を読んだことをきっかけに、話者が書いた本や挙げた本を読んでみようという場合も往々にしてあることでしょう。
長所は短所にもなりえます。
すでに話者の著作や話題になじんでいる読者にとって、既知のことがらがだらだら説明されているように感じることもおおいものです。その一方で、話者の著作や話題になじみのない方にとっては、既知の事項があまりにも省略され過ぎていて、わかりにくいときがよくあります。
ある程度は既知のことにふれて予備知識の少ない読者に配慮しつつ、あたらしいことを述べられる、そして、意外性を楽しめる対談というのが理想ですが、なかなかそういうふうにはいかないものです。
私がこれまでさまざまなものを読んできたかぎりでの印象ですが(きちんと調べたわけではなく印象でしかありませんが、おそらくまちがえてはいないでしょう)、
「対談という場面で話している人自身が思いもよらないことをしゃべっている時間、あるいは、対談を通して意外な発想が生まれる場面というのは、案外にすくないものだ」
と感じています。
すぐうえの「」でくくったことを仮定したうえで、「読みどころ」にいきましょう。
対談という場面で話している人自身が思いもよらないことをしゃべっている時間、あるいは、対談を通して意外な発想が生まれる場面は、案外にすくないのではないか、と書きました。沢木さんの対談といえども、この傾向から外れてはいないようにおもいます。誤解されないように書きそえておきますが、この傾向が当てはまるのは沢木さんの対談にかぎったことではないことも、たしかです。
しかしながら、山口文憲さんとの対談は、意表を突いた発言がおおいことといい、テンポの良さといい、いい意味での数少ない例外(の一つ)に挙げられるのではないか、とかんがえます。山口氏のベ平連での体験談、パリでむかえたおおみそかの夜のこと、アグネス=チャンに触発されたと山口氏がいうことなど、とてもおもしろく読めました。
ほんのさわりですが、テンポの良さをあらわす発言の一例を引用してみたいとおもいます。
『深夜特急』を今回読み返してみて、やはり若過ぎてはいけないな、と感じたのは、たとえば「黄金宮殿」の中の曖昧宿での身の処し方ですね。それから、マカオもね。あれはティーンエージャーじゃまずい。二十六ぐらいだったら、のめりこむ部分もあるし、同時に見返す何かもある。十代で黄金宮殿に行ったら萎縮しちゃうと思いますよ。あのお姐さんと初体験はきつすぎる(笑)。山口さんのこの指摘を楽しみつつ肯くことができます。
この対談は対談集『貧乏だけど贅沢』にも収録されていまして、対談のいきさつを述べた文章中には『初対面同士の対談としては快調なテンポで二時間余りをしゃべりつづけることができた』(p160)とあります。沢木さん自身がテンポの良さを感じていたようです。
金子光晴の三部作を述べているところで、「旅を書くうえでの創作」という問題がでてきます。
『西ひがし』の終わりの方での少女が白蛇になるという情景があります。この情景について、沢木氏は「創作してしまおうという意図がうかがえる」といい、山口氏は「記憶のなかをもう一度旅して見たことや感じたことを書くのだから」という発言とともに、「金子光晴は内面の旅で白蛇に化身する少女を見たのだ、としかいいようがない」とかたります。
ついで、矛先を沢木氏に向け、『これ、かなり本質的な問題だと思うんだけど、沢木さんなんか、どう意識してるんですか?』とききます。沢木氏は、創作(の可能性)という問題には触れないで(というよりは、意識していないようにおもわれます)、『ある程度メモとか手紙みたいなものが残っているから、三十年後でもオーケーだったような気もするけれど、でもきっとまったく質が変わってしまっただろうね。』と答えています。
山口氏の問いは、金子光晴の三部作の終わりの方の情景とからめて、創作(の可能性)という問題をも提起しているようにおもえます。
この箇所は、くわしくみておくことにしましょう。
記憶のなかをふたたび旅して見たことや感じたことを書くのですから、内面の旅においてつよく印象に残ったことのなかには、ほんとうに存在していたこととともに、旅行したときには存在していない(可能性が高い)がその後の記憶の変化・変容に応じて存在することになってしまった事物もあるかもしれないのです。ほんとうに存在していたこととともに、記憶の変容によってあらしめられたものが混在しているかもしれないのです。
本人がとくに意識してなくても、記憶の忘却・変容等は起こりうるでしょう。他の記憶や記録・資料との整合性が取れないことなどから類推して、記憶の変化・変容が生じたのではないかと気づかざるをえないときもあるかもしれません。よほど詳細な記録か何か(自らが書いたものがいい)が手元にないかぎり、たしかめる手段に関しては、どうしてもあやういと感じざるをえないところがあります。「たしからしい」ということはいえても、「たしかにこうだった」とは言い切れない何かがどうしても残ってしまいます。
この問題をどのように取り扱ったらいいのでしょうか?
一概に「これこそが正しい解決法だ」と言えるものは、おそらくないでしょう。
想定しうる対応をおおまかに分けますと、
今のところ、個々のケース(立場や事例)に応じて対応をかんがえることが最善かもしれないという気はします。長きにわたる旅行記の全体をかんがえますと、個々の情景一つ一つに対してどのくらい折り合いをつけていくかということとともに、その旅行記には通じる原則を立てなければいけなくなるかもしれません(対談で指摘されているように、金子光晴の三部作は原則が一定していないようですが)。
話を戻します。
金子光晴の描いた情景を引き合いに出して、山口氏が聞いていることのなかには、
(注)
すくなくとも、「記憶が変わったことによって意図せずしてなされた改変が存在するのではないか」という疑問がまったく消えることはないでしょう。
(補足)
あきらかに山口氏の発言からは逸脱しますが、補足します。
私が考えますに、「記録はどのくらい記憶をたすけることができるのか」も問うた方がいいかもしれません。
記録されたことが妥当なものかどうか、正確なものかどうか、記録によって想起された記憶はどのくらい信用がおけるのか、ということも疑ったほうがいいかもしれないです。
しかし、こんなことをまじめにかんがえぬいていたら旅行記は書けない、というのもあるんだよなあ……。
もう一言だけ。
言うまでもなく、旅行記を書くうえで安易な創作は問題外です。念のため。
沢木氏は「記憶をどのようにして読みなおすのか」ととらえたのではないか、と(私は)推測します。
ふたたび同一箇所を引用しますが、『ある程度メモとか手紙みたいなものが残っているから、三十年後でもオーケーだったような気もするけれど、でもきっとまったく質が変わってしまっただろうね。』とあっさりと返しているのが、多少は残念でもあります。
記憶が変容する可能性を考慮していても、(すくなくとも、対談中は、)変容した記憶がまったくありもしないようなことをあらしめてしまう可能性をふかく考えていないようなのです。
考えていないようなのは、わけがあります。おそらく『深夜特急』がノンフィクションのルールに殉じて書かれた(であろう)ことが、沢木氏におおきく作用しているのではないでしょうか。
こういうきわどい話題を対談で取りあげているお二人の対談は、お見事です。意図しているところがずれるようなところが(取りあげたところ以外にも)散見されるのは、しかたのないことだという感想を持ちます。意見を詰められなかったのは、話題がかみあっていなかったのでも、お二人の力量が足りないのでもなく、対談という形式の限界に由来するものではないかくらいに推測しています(論点をしぼって議論をするということを意図した対談ではありませんから、なおさら)。
私なりにわかりやすく書いたつもりですが、この節で論じてきたことはわかりにくいかもしれません。ほとんど理解できない人がいらっしゃるのではないかとおもいます。
急がず、あせらず、いずれのときにか理解していただければけっこうです。
いくつか年齢をかさねることで(理解しうる時期がきて、きちんと理解しようとするなら)、あるいは、沢木さんの他の本を読んでいくことなどで、かならずやおおまかな内容はわかることでしょう(こまかい箇所については、私が誤解していることもあるかもしれません。そのさいは、面倒くさいとおもわずに、メールをください)。
とりあえずは、つぎのことをおさえておけば、大丈夫でしょう。やや長いですが、区切りのところまで読んでみてください。
『深夜特急』は、旅行記という区分けに入るものです。もっと大ざっぱな分け方では、ノンフィクションという分野に入ります。ノンフィクションとは、虚構(つくり話やウソ話)を使って書くことのない文章を呼ぶときに用いることばです(記録・旅行記・日記・闘病記などが挙げられます)。
ノンフィクションという分野では、約束事が一つあります。想像だけで文章を描いてはいけないのです。
ノンフィクションを書くときには、自分で直接に見たり聞いたりしたことか、調べたことのどちらかを主に書くことになりがちです。
では、推理したことや思ったことを書いてはいけないのでしょうか。いいえ、そんなことはありません。「こうではないか」と推理したことや思ったことを書いてもいいのです。でも、そのときは、推理したことや思ったことにつづけて、「……と推理した」や「……と思った」と書き加えましょう(面倒くさいからといって、手を抜いてはダメです)。
旅行記(にかぎらず、ノンフィクションという分野の文章)を書きたいのでしたら、書くときにありもしない話をつくったり(残念なことに、話をおもしろくするためだけにこういうことを平気でやってしまうプロの書き手がいます。困ったものです)、見たこと・聞いたことを改変してしまうのは、いけないことなのです。なぜなら、場面(シーン)をでっちあげることに当たり、それはノンフィクションの約束事に反するからです。そういう文章をノンフィクション(の一分野である旅行記)とは言わないのです。
もっとも、とくに旅行記とことわったり、ノンフィクションとことわらなければ、文章のなかで自分好みのシーンをつくることが(自由に)できます。
小説(や物語)と呼ばれている分野の本がそうです。書いた人が想像した世界(とても愉快だったり、恐ろしい怪物が出てきたり、悲しい物語だったりします)のなかに、読み手であるあなたが入りこんで、楽しんだり、恐ろしがったり、悲しんだり、あるいは、「つまんねえな、この本、ワタシ(ボク)の方がおもしろい話がつくれるわ!」と感じたりすることができるのです。
「最低限おさえておいてほしいこと」はここでおしまい
『深夜特急』が持つ意義というものがあるとするなら、それをさりげなく、しかし、的確に指摘した箇所があります。
沢木氏が『山口さんがもし、今の時点でパリの時代のことを書こうと思ったら、どういう質のものになるのかな。』ときき、「韜晦がでてしまう」と答えたあとです。
場面のなかで私を動かしたり喋らせたりしても、なんだか、現在の私が腹話術をしているみたいで、一人称になり切って自由に歩き回ることができないんです。そこを方法的にクリアーしたところに、沢木さんの大作があるんだと思うんですけど。というところです(引用文中の「クリアーした」ということばは、「乗り越えた」と言い換えてもそれほどおおきな違いはないでしょう)。
現実の世界においては、旅行記で書かれている私と旅行記を書いている私のあいだに、ずれがかならず生じている(生じてしまう)のです、さまざまな意味で。たとえば、書かれているときと書いているときとの時間差からしてそうです。しかしながら、『深夜特急』という旅行記のなかで、(当時の)沢木耕太郎が自由にあるきまわってい(るようにみえ)ます。つまり、場面のなかでの私が書いている私を(まったくといっていいほど)感じさせません。
(あまたある旅行記のなかで、)旅行記として『深夜特急』の持つ意義(の一つ)は、旅行していたときと旅行記を書いているときとのずれを自覚しながら、旅行記のなかでは、書いている沢木氏の存在をけっして感じさせないものにしあげたことにあります。
この文章は、以上に書いたことでおしまいにしようかとおもっていました。ですが、気づいてしまったものを放っておくのは、あまりいいこととはおもえませんでした。どうでもいいようなことですが、2つのことを指摘して、ほんとうにおしまいにしたいとおもいます。
第1点目です。
すでに述べているとおり、この対談は『貧乏だけど贅沢』という対談集にも収録されています。この対談集では、短い文章で対談までのいきさつがかんたんに書かれています。
気になったところは、「出発の年齢」のところで、
『深夜特急』が文庫化される際、すべての巻に対談が付されることになった。香港の章を含むその第一分冊にオリジナルの対談を用意することになったとき、できれば話し相手として山口さんに登場してもらいたいと思った。頼むと山口さんは快く引き受けてくださり、初対面同士の対談としては快調なテンポで二時間余りをしゃべりつづけることができた。とあることです。『貧乏だけど贅沢』p160
一見して何でもないような文章ですが、『初対面同士の対談としては』というところに引っかかってしまいました。顔を合わせるのが初めてだから初対面なのか、対談は初めてという意味で初対面なのか、沢木さんがどちらの方にとらえていたのかにフシギに感じました。文脈から判断すると、「顔を合わせるのが初めて」ととる方がいいようにおもうのですが、「対談は初めて」ととることも可能だとおもわれます。にわかに判別しがたいのです(ご本人に問い合わせれば、すぐに知らせてくださるかもしれませんけれど)。
このようなささいなことに興味をおぼえ、どちらか判別しがたいといっているのは、理由があります。なんとなく、『空腹の王子』という本の一節をおもいだしていたからなのです。
山口文憲さんは『空腹の王子』という本を1992年に主婦の友社から出版しています。そのなかに沢木氏が出てくる場面があるのです。
この本が出版されているのは1992年で、4〜5年前と書いてあることから、1987から1988年にかけてのことと推測されます。邱永漢さんのお宅に呼ばれたときのことが、第1章の「空腹の王子」に書かれています。
沢木氏が出てくるところだけを抜き出します。
おやおや、色シャツに細いネクタイをぶらさげているのは、沢木耕太郎である。とあります。(……中略……)
沢木耕太郎は、端正な顔に似合わぬカン高い声で、
「邱永漢によばれたら、これは誰だって行かないわけにはゆかないでしょう」
というようなことをいった。『空腹の王子』主婦の友社,p11-12
山口氏によると、邱さんがオーナーをしている店へ移動し、呼ばれた他の人たち(なぜか島田雅彦さんもいます)とともに、会食したということなので、沢木氏は山口氏がいることに気づかなかったということはないでしょう。
会ったことを忘れていて、しかも、この本のこの箇所を読んでいない可能性はひくいです。
というのは、文庫版『深夜特急』第1巻の208ページによると、『この対談は、一九九三年一一月に行われました』とのことですから、対談をするまえにこの本を入手することは十分に可能でして、しかも、『貧乏だけど贅沢』の巻末には、
あるていど納得するまで相手の作品を読んだり見たりした上でないと、その人と安心して会うことができない。とありますから、山口氏のそれほど多くはない著作に目を通していたでしょう。したがって、この節も読んでいるとおもわれます。『貧乏だけど贅沢』,p353
山口氏の書いたことにまちがいがないのでしたら、すくなくとも初対面ではないわけです。
にもかかわらず、いきさつを記した文章であのように記していることは、会ったことも、本に書かれていたことも、忘れていただけなのかもしれません。
この本のこの箇所を読めば、「そういえば、あのときに会ったかもしれないななあ」くらいのぼんやりとした記憶くらいはよみがえるはずではないでしょうか。と感じはしたものの、さして疑問にはおもいませんでした。
ただ、沢木氏だけではなく、編集者の方が目を通しているはずでして、担当者の方は確認をされなかったのかしら、とはおもいましたが。
第2点目です。
不注意というべきなのか、さらなる不思議なことというべきなのか、まよってしまうのが、山口文憲さんの文憲というなまえの読み方です。ひらかなで「やまぐち ぶんけん」書いてあります。たしかに文庫版『香港 旅の雑学ノート』には『通称ブンケン』とありますけれど、通称とあります。「やまぐち ふみのり」でしょう?
「出発の年齢」は、
沢木 耕太郎『深夜特急 1 香港・マカオ』新潮社 1994年,p207-238
に収録されています。
また、
沢木 耕太郎『貧乏だけど贅沢』文藝春秋社 1999年,p159-211
にも収録されています。
『空腹の王子』の単行本は
山口 文憲『空腹の王子』主婦の友社 1992年
です。
新潮社から文庫版が出ています。
山口 文憲『空腹の王子』新潮社(新潮文庫) 1995年
第1回の『深夜特急』論――開始にあたって・第2回の『深夜特急』はどのように書かれたのか――「記憶と資料」を手がかりにを、読まれていない方は、この文章と合わせてお読みになってください。お願いいたします。