帥(太宰府の長官)のもとより書を送らる。書を開き見るに曰く。相撲使公時死去の由なり。件の男は随身なり。ただいま両府(左近衛府・右近衛府)の者の中、第一の者なり、日来(ひごろ)かく云々により、憐れむ者多し。 |
相撲の選手のスカウトに行った公時の死亡報告がきた。公時18歳は私のボデーガードの番長だが、近衛兵の中で第一の人物なので憐れむ者が多い、という意味です。
この公時関連記事は他の貴族の日記にもあります。『小山町史史料編1』でみても、彼は競馬や弓の名手でもあり道長に信任され若くて出世しています。しかし、公時の名字は酒田や坂田でなく下毛野です。実在のこの公時がルーツでしょう。
『今昔物語集』の公時
ここで、公時だけの姓が失われているのはなぜでしょうか。
『古今著問集』『御伽草紙』「謡曲」の金時公時
室町時代初期に成立した『御伽草紙』では「酒呑天童子」の話でも「・・・貞光、季武、公時、綱、保昌いづれも文武二道のつわものなり・・・」と姓はなく、勇士たちの一員です。
室町時代前期成立の『謡曲大江山』でも頼光の酒呑童子退治のワキツレ6人グループの一員で、個性を持っていません。『謡曲羅生門』には名前だけでます。
公時の武器も、『古今著問集』で弓矢、『御伽草紙』「謡曲」で剣です。