明治時代:唱歌「キンタロウ」と多様な人形・凧
「気は優しくて力持ち」という今日のイメージを固定させたのは、1900年の唱歌「キンタロウ」です。
石原和三郎作詞、田村虎蔵作曲の「マサカリカツイテキンタロウ・・・・・・」の歌が全国の小学校で歌われました。『小学国語読本』で「きんとき」「金太郎」も教えられて、


「足柄山の金太郎」はまさに全国版になりました。

また、唱歌「キンタロウ」に先立つこと6年、明治27年(1884年)に巖谷小波(いわやさざなみ)さんが「日本昔噺」シリーズの『金太郎』を発表しています。

 今でこそ、定番の「足柄山の金太郎」ですが、「金太郎」は日本全国にいます。伏見稲荷の土産として広まりつつあった金太郎人形は、五月人形や誕生祝い凧として地方色を加えて全国に分布しました。体が白い金太郎が、白馬に乗る青森県下河原の土笛、米俵に乗る広島常石の張子。猪に乗る宮城県堤土人形、牛に乗る福島県三春張子。目玉が回る長崎県平戸や福岡県柳川の凧等々特色ある金太郎像が今日でも愛されています。


新しい金太郎の展開
 江戸時代に桃太郎より優勢だった金太郎も、軍国主義の戦前や華美を好む現代では、桃太郎におされぎみです。
テレビマンガ「桃太郎伝説」でも「足柄山財閥の御曹子金太郎」は副主人公(右の玩具参照)でした。昨年一年間毎日新聞日曜版に連載された『夢源氏剣祭文』では、滋賀県鳥谷山生まれで山姥八瀬の子、怪力と空中飛翔で子供たちを救う金太郎が副主人公となっています。このほかにも新しい「金太郎」が次々に創作されています。

 マスメディアの中では、こどもの世界でも金太郎の影はますます薄くなるでしょう。健康指向、自然保護・町づくり運動を背景として新しい金太郎の物語や、商品が創造されていますが、21世紀でも活躍できる金太郎を生み出すことが、私たちの課題です。



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