2000年06月25日
2000年07月20日修正
第3回の「26歳適齢期説だけではない『出発の年齢』」に関係する話です。まだお読みになってない方は、第3回をさきにお読みになってください。
文庫版『深夜特急』の第1冊の巻末に付された山口文憲さんとの対談「出発の年齢」では、年齢のことがおおきな話題の一つになっています(読んでいない方は、ご一読ください)。第3回は年齢がおおきく取りあげられていることを前提にしています。
それ以上の説明をするまでもなく、第3回に書いてあることで、ご理解いただけるだろうとおもっていましたが、そうとはかぎらないようです。
このことをかんがえるにあたって、Hiroyaさんの掲示板でHiroyaさん(その掲示板の管理人でもあります)とのあいだでおこなわれた議論(議論というべきものかは?ですが)が理解をたすけてくれるのではないかと感じます。
場をあらためて取りあげてみたいとおもいます。
「26歳適齢期説にこだわりすぎでは?」ということを書いた記事およびフォローをまとめます。
深夜特急 -MIDNIGHT EXPRESS-の掲示板において、2000年6月11日に私(ふるや)は、つぎのような内容のことを書きました。
6月12日付けで管理人のHiroyaさんが、
6月15日に私(ふるや)は、Hiroyaさんの述べた第3点めについてはふれず、
以下をみていただけると、よりくわしいことがわかります。
まずは、私の書いたものです。
[35] はじめまして 投稿者:ふるや 投稿日:2000/06/11(Sun) 12:47:09Hiroyaさん、みなさん、はじめまして。ふるやと申します。
掲示板がにぎわっていること、ヤフージャパンからもリンクしてもらったこと、おめでとうございます(遅くなって、すみません)。
感想などをいくつか述べたいとおもいます。
1、この掲示板にかぎらず、方々のページを見て感じることの一つに、26歳という年齢にこだわり過ぎているのではないかなあ、ということがあります(ちがってますでしょうか?)。
# 26歳適齢期説にとくにこだわっていない方は、
#笑って読みとばしてください。
26歳適齢期説を切り出したところを引用しておきますと、
『沢木 二人がはじめて外国に行ったのは、たまたま同じ二十六歳だったんだけど、自分を正当化するために(笑)、やはり二十六、七ぐらいがいいのではないか、余り早く外国に行く必要はないのではないかと言い切ってしまいたいように思うんだけど。
山口 私もまったく同意見です。』
(『深夜特急1』,p227-228)
ということで、お二人が外国に出たのがたまたま26歳のときであったということが、この説のもっとも大きな根拠(?)になっているんです(苦笑)。あまり若くして旅行にいくと、かえって見えないものがある、という指摘をしているまでで、対談のほかのところでは、旅を香港やハワイからはじめることも、ツアーを利用するという選択も肯定されているようです。
たしかに26歳適齢期説を打ち出しています。ですが、対談を通していっていることは、どちらかといえば、旅のスタイルはもっと自由であっていい、というようなメッセージなのではないでしょうか。
……(以下略)……
つぎは、Hiroyaさんのフォローです。
Re: はじめまして 投稿者:Hiroya - 2000/06/12(Mon) 01:07:36ご無沙汰です。管理人のHiroyaです。
触れられている「26歳適齢説」ですが、
>お二人が外国に出たのがたまたま26歳のときであったということが、
>この説のもっとも大きな根拠(?)になっているんです(苦笑)
とありますが、これは違うのではないかと思います。「自己正当化」という目的で言われたという部分は確かにありますが、26歳ぐらいで海外旅行をするアドバンテージについては対談の中で触れられています。例えば、『二十五、六ぐらいで行ったらいいなと思うのは、いろいろな人に会ったり、トラブルに見舞われたりするたびに、自分の背丈がわかるからなんですよね。』と沢木氏が言っています。「お二人がたまたま26歳の時に海外に行った」というのは26歳適齢説の「根拠」ではなく、「きっかけ」だと認識しています。もしお二人が25歳の時に行っていれば、名前が「25歳適齢説」になっていただけで、言わんとすることは同じでしょうしね。そういう感じでとらえています。
>たしかに26歳適齢期説を打ち出しています。ですが、対談を
>通していっていることは、どちらかといえば、旅のスタイルは
>もっと自由であっていい、というようなメッセージなのでは
>ないでしょうか。
旅のスタイルについてのメッセージという点では同意見です。ただ、問題になっているのは「対談を通して言っていることは何か?」ではないですし、年齢については「26歳ぐらいが適齢」という以外には触れられていませんよね?つまりこの対談では、「いろんな年齢の時に海外へ出よう」とは言ってないわけです。お二人の最後の発言を見る限り、「年齢」も大きなテーマだったと思いますよ。
・・・と書いてはみたものの、自分は「初めて海外に出る」という意味での26歳適齢説にはそれほど賛成ではありません。
……(以下略)……
再度、私が書いたものです。
フォロー 投稿者:ふるや - 2000/06/16(Fri) 21:51:28ふるやです。
……(中略)……
Hiroyaさん、フォローどうもありがとうございました。
意見が一致するところと一致しないところがあります。意見が一致しないところを中心に、再度、述べてみたいと思います。
1、「根拠」ということばが適切かどうかは、それほどの自信はありません。ゆえに、「根拠」のあとに「(?)」を付けました。「根拠」よりいいことばがあるかもしれないということは、否定しません。しかしながら、すくなくとも、「きっかけ」よりはいいと思います。
対談の最後の部分(←Hiroyaさんは別の箇所で論を補強するさいに使われています)には、
『山口 二十六が適齢期。上でも下でもいけない。
沢木 今日は二人で二十六歳適齢期説を自己正当化した(笑)。』
という発言があり、自己正当化ということをかなり意識している、と(も)考えられます。自己正当化ということばを使用しているところは、いずれも、「(笑)」という記号が入っていることにも注目すべきだと思います。
対談のノリで言ってしまったくらいの26歳適齢期説の「根拠」(?)として、沢木氏と山口氏がたまたま26歳という年齢のときに外国へ行ったことを挙げることを、さして不自然だとは感じません。
「きっかけ」(?)と思えなくはないですが、そう考えますと、自己正当化((笑)?)ということばがくりかえされることや、冒頭で「山口さんは何年生まれですか」という質問が沢木氏の口からされていることも、「きっかけ」なのでしょうか。
また、この対談が再収録されている『貧乏だけど贅沢』のあとがきで、あらかじめ下調べをしたうえで対談にのぞんでいる、というようなことが述べられていることをどう考えたらいいのでしょうか。
以上のようなことを合わせて考えますと、「きっかけ」ということばを使う方が不自然だと思いませんでしょうか?
(私はやや不自然だと思いました。)>もしお二人が25歳の時に行っていれば、名前が「25歳適齢
>説」になっていただけで、言わんとすることは同じでしょうし
>ね。そういう感じでとらえています。
このコメントには、私も同感です。もっとも、私が書いたことで、
『もっとも大きな根拠(?)になっているんです(苦笑)。』
で「もっとも」と書いたことは、表現が過ぎたかもしれません。 べつのところで書いたり話したりしていることを見ますと、26歳というのは、黒田征太郎さんの影響を受けてのことでもあるそうですから。ですが、この対談の場においては、私が先に挙げたことがかなり大きい要因であることは、確かでしょう。
(「もっとも」かどうかは、検討を要することなのかもしれません。)2、後半に述べられていることについては、とくに異論はありません。
ただ、どういう視点で考えているかは、異なっているようです。書かなかったので誤解されているかもしれませんが、対談のなかで年齢が重要な話題の一つであることは、前提にしています。とともに、年齢のこと(主に26歳適齢期説)だけにとらわれてしまう読者が少なくはないであろうことを仮定しています。
そのうえで、
「年齢のこと(または、26歳適齢期説)だけにそれほどこだわらなくてもいいのでは?」
(「だけ」にというところがポイントです!)
という内容のメッセージを発しました(発したつもりです)。ですから、
># 26歳適齢期説にとくにこだわっていない方は、
>#笑って読みとばしてください。
とも書いています。Hiroyaさんは、
>「年齢」も大きなテーマだったと思いますよ。
と述べています。その通りだと思います。私とHiroyaさんの意見のくいちがいは、年齢が大きなテーマだいうところからさらに一歩踏み込んでものをいうか、踏みとどまってものをいうかのちがいに起因するのであろう、と思います。……(後略)……
第1点めについて述べます。
さきに引用した掲示板の議論では、お二人が外国に出たのがたまたま26歳のときであったということを26歳適齢期説の何ととらえるかで、意見がわかれました。Hiroyaさんは「きっかけ」と認識している、私は「根拠」の方がいいのではないかと述べました。掲示板上での議論は、いちおう打ち切りになってしまいました(復活する可能性もないではないですが)。
よくよく考えてみますと、「きっかけ」と認識してもさほどの不自然さを感じなく読むことができるようにおもえてきました(まだ、そういう気がしている段階です。Hiroyaさんが十分にお考えを展開してくれれば、もっとよくわかるかもしれませんが)。ただ、「根拠」として読むことも不自然ではないです。
どちらでもいいことにしておきます(ご意見のある方、いらっしゃいましたら、moto@ua.airnet.ne.jpまでメールをください)。
第2点めについては、Hiroyaさんと私のあいだで了解ができたものとおもわれます。ここでは第3回とからめた話を付け加えます(掲示板の記事・フォローからはなれます)。
「出発の年齢」という対談で、年齢はおおきな話題(の一つ)です。年齢のところにこだわってかんがえてみるのも、年齢のところにそれほどこだわらずにかんがえてみるのも、どちらもありうる選択だとおもいます。沢木氏・山口氏の対話の流れにしたがいますと、どちらに取ってもいいようにおもいます。
どちらがすぐれているか、どちらがいいのか、どちらが好きなのか、ということは、一個人としては決められる問題なのかもしれません。しかし、一般的に言うなら、どちらとも決められないのではないでしょうか。
私は自分の好みや判断にしたがいまして、年齢のところにそれほどこだわらずにかんがえてみるのもいいのではないか、とかんがえ、私なりに指針をしめしたつもりでした。
26歳適齢期説だけではない「出発の年齢」を書いたとき、こういうことをきちんと述べていなかったために、混乱された方がいるのではないかとおもいます。
じつは、以上に述べたようなわけなのです。
「出発の年齢」は、
沢木 耕太郎『深夜特急 1 香港・マカオ』新潮社 1994年,p207-238
に収録されています。
また、
沢木 耕太郎『貧乏だけど贅沢』文藝春秋社 1999年,p159-211
にも収録されています。
HiroyaさんのWWWは深夜特急 -MIDNIGHT EXPRESS-で、掲示板はこちら。私の書いた記事(2000年6月11日)は、35番という数字が付いています。
第1回の『深夜特急』論――開始にあたって・第2回の『深夜特急』はどのように書かれたのか――「記憶と資料」を手がかりにを、読まれていない方は、もしよかったら、どうぞ。この文章と合わせてお読みになると、私の考えていることが(すこしは)わかるようになるかもしれません。